近藤 貞雄のホームページです。
チュニジアの感想>
チュニジア感想
概要:
1)チュニジアに関してはあまり知識がなかった。ブルギバ大統領の独裁位しか
知識がなかったが,行って見て北部の首都チュニスは立派な都市であった。
フランスが統治していたので,かなりセンスのよい街であった。しかし南部
のサハラ砂漠付近になると様相が一変して,茫漠たる砂漠が続く荒地であった。
使用言語はアラビヤ語,それもマグレブ方言と云うアンミ−ヤ語で,アラブ人
でも判らないらしい。街ではフランス語が僅かに通じる程度で英語はまったく
通じない。(高級ホテルでは通じるが)治安は大変よい。これはイスラム原理
主義者を徹底的に,取り締まった結果の様である。
2)基本的には社会主義国家で,食料や日常品は凄く安いが,贅沢品は凄く高い。
産業は殆どなく,輸出品としては,オリーブ油,ナツメヤシの実,燐鉱石
(肥料用)位のもので,石油が出ないのが致命的。(僅かに出るらしいが)
従って,観光がこれからの最大の資源となるのは確実であるが,まだ観光を
どうすればよいかが判っていない。
庶民は大変貧しい。しかし99%が
イスラム教徒スンニー派であり,又南国特有の楽観主義もあって,皆深刻な
表情はしていない。(飢える事がないようである)昼間から喫茶店に入って
駄弁っている若者が多い。一生懸命働いている様な感じがしない。
しかし時間は意外に正確。電車もバスも時間通りに来る。
3)人種は雑多で,アラビヤ人の顔をした者が多いが,東洋系の顔も多い。
ガイドに聞いたら,紀元前より他国からの侵略が多く,その度に混血されて
現在のチュニジア人になったようである。人々は皆人懐っこい。
街角で道端に
座っている人に「サバーハルヒール(今日は)」と声をかけると,にっこり
笑って,握手を求めて来てアンミーヤ語で話掛けて来るが,まったく判らず。
それでも喜んでいるのはよく判る。
4)カルタゴの遺跡は今回最も期待した場所だったが,フェニキア人の遺跡は
ローマ人によって,完璧に破壊されて,しかも壊した資材を自分達の建造物の
資源として使ってしまった為,何も残っていない。僅かに発掘された住居跡が
見られる程度であった。最後に侵略したローマ人の遺跡は各所に残っている。
(これも更に後から侵略したオスマントルコにかなり潰されているが)
5)その代わりサハラ砂漠をトヨタの4WDランドクルーザをチャータして
乗込んだのは,想像以上に興奮した。ドウーズと云うサハラ砂漠の入口の街
から一歩出ると其処は砂漠であり,道なき道を時速100kmで突っ走るのは,
壮観であった。
運転手は砂漠に精通しており,まるで「砂漠ラリー」に参加した気分であった。
砂漠のオアシスは如何に人間にとって重要かがよく判った。
砂漠の中に突然出現
するオアシスには清水がこんこんと湧き出し,其処にあらゆる動物が集まって
来るのは壮観。
6)その他マトマタではベルベル人(先住民族)の住居跡(穴蔵式)を改造した
ホテルにも泊った。
4.近藤 感想:
1)「人類は皆友達」と云う印象を強くした旅であった。又イスラム教の結束力
も認識した。彼らは宗教を生活の第一に位置付けており,自らをコントロール
している。生まれた時から教えられているのでまったく疑う事を知らない。
イスラム教以外に宗教がある事すら知らないのではないかと思った。その意味
では大変幸せな生活をしている。
2)日本からの観光客にはまったく会わなかった。又観光客も多くない。まだ
観光開発途上国であった。
おみやげ屋は沢山あり,ここのオニーチャン達は
凄くしつこくて閉口した。見る事も出来ない。うっかり手にとって見るともう
へばりついて来て,帰してくれない。客が少ないせいもありそう。ろくなもの
がない。この辺は改善の余地が充分になる。
イスラム教のせいだと思うが,
子供も金くれと手を出さない。可愛いのでついお菓子をやる人が多いがガイド
に聞くと,虫歯になるので止めて貰いたい由。(歯医者がない)この辺は南米
とは明らかに差があった。(南米の子供は群がって来て手を出した)
3)ガイドの話によるとブルギバ大統領がよく日本を引き合いに出して国民を
啓蒙した由。「日本は水と山しかない国だがあれだけ発展した。我々も何もない
が出来る筈である」と云っていたらしい。だから「ヤバン」と云うと好意的な
目で見る様な感じがした。
まあちょっと違った楽しさがあった旅であった。満喫した。
以上
最初に戻る!
ホームページへ