SYSTEMA by MITO YUKO
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< 違いがわかる情報システム >
一人屋台の発想から (2002.8)
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◇ 屋台というと、ラーメンかおでん。
サラリーマンがほっと一息つくところ
というイメージがありますが、
この屋台を工場の生産現場に置こう
という考え方があります。
かの「トヨタ式」生産の流れから出てきた
ものづくりの発想で、国内はもとより、
中国でもそろそろ実践されはじめている。
その名も「一人屋台」と言います。
◇ トヨタの生産方式については、
「かんばん方式」「ジャスト・イン・タイム」、
あるいは「在庫ゼロのシステム」 ・・・と
いろいろな言われ方をしますが、
肝心なのは、後工程が前工程を動かすこと。
市場に近い後工程は、市場から遠い前工程にとっては、
いつも「お客様の代理人」と見なされるべきである。
だから、従来のように川上が川下を動かすのではなく、
川下が川上を動かす。
要するに、生産の都合を市場に押しつけるのではなく、
市場の変化に応じて柔軟に稼動する生産システムを
つくる。そうすれば無駄は自ずとなくなる
ということです。
基本には顧客指向の発想があるわけです。
◇ この発想をベースに一人屋台は生まれました。
ベルトコンベアを工場からむんずとはずし、
10数点の部品を配置した屋台のような作業場を作る。
そこで作業員は、すべての部品を一人で組み立て、
一人で製品を完成させる。
それがどうして無駄省きになるのか ? と疑問にお思いの方は、
『常識破りのものづくり』山田日登志・片岡利文著 NHK出版 2002年
をお読みください。
手塩に掛けて育てた生産ラインが、ある日突然、
やってきたコンサルタントによってズタズタに切り裂かれ、
一見、無茶としか思えないような再構築を強いられる。
このままでは納期が守れない。もはや工場もこれまでか、
と思われたその頃から、ボツリボツリと一人屋台は成果
を上げてゆく。
屋台を見守る工場内の一人一人の表情が変わってゆき、
いままでにない希望や情熱がものづくりの現場に育ってゆく。
2001年1月から、実際に鳥取三洋電機で繰り広げられたこのドラマは
同年5月、NHKスペシャルでも放映されました。
◇ その目指すところは、 一見、
「究極の多機能工づくり」のように見えますが、
意図するところは、もはやそれを超えようとしています。
屋台では、一人一人が、別々に、一つ一つの製品を
つくってゆくのですから、 当然、製品の品質に
バラツキが生じます。
例えばAさんが作ったFAXは、Bさんが作ったFAXより、
丈夫で長持ち、見た目にも良くできている
ということは、起こりえるわけです。
しかし、そのバラツキをも積極的に評価してゆこう
という考え方が、ここには芽生えはじめている
ようなのです。
どういうことかと言いますと、
標準より良くできた商品は高い値がついて当たり前。
Aさんの作った商品には一種のプレミアムがついて然るべきだ
と考えるのです。
旅行会社のツアーパンフレットを前に、
こんな経験をしたことがあるでしょう。
少しぐらいお金は余計にかかってもいいから、
宿泊ホテルはワンランク上のクラスにしておこうと。
違いにはお金を払ってもいいという、あの気持ちです。
こうした気持ちを無視せずにもっとしっかりと
とらえてゆけば、バラツキはむしろプラスに
評価できるというわけです。
◇ 19-20 世紀の工場生産では分業がメインでした。
標準化された部品を組み合わせることによって、
全体をつくり、システムを作ってきたわけですから、
部品にバラツキはあってはならない。
しかし、よくよく考えてみると、
品質というものは、いつも不特定多数のユーザーを対象にした
「最低限の品質」として保証されてきたわけです。
もし、上のほうへのバラツキを積極的に評価することによって、
つくり手の能力が存分に発揮されるのならば・・・、
そして、そのことが そのまま、
ユーザーのニーズに応えることにつながれば、
世の中は、まことにハッピーでして、
人間はもっと幸福になれる。
社会的厚生も高められるはずなのであります。
◇ それがいままでできなかったのは 、
何を隠そう、市場が不完全だったからです。
市場は商品の品質の違いに対して
適切な評価を下せなかった。
せっかくAさんが立派なFAXをつくっても、
高値で売れない。「皆、同じだ」と評価してしまう
のです。 となれば、Aさんのせっかくの努力も
自己満足の世界に留まるのです。
◇ ということで市場の不完全性を補うべく、
゛違いのわかる情報システム゛が求められるのです。
昔は、商品情報は企業が膨大な額の宣伝料を掛けて
生産の側から消費の側へ、一方的に流すものでした。
しかもその内容は生産者の都合に合わせたもの。
利用者の側から個別に情報を求め、それに応じて生産の側から
情報が流れるということはあまりなかったわけです。
この流れを利用者の側から生産者の側へと変えることは、
いまの情報ネットワーク技術では可能です。
情報の流れが変わり、市場の評価能力が高まれば、
品質に違いのあるものには違う値段がつく。
価格の伸縮性は、情報の完全性にも依存するのですから、
結局、顧客指向の生産システムを構築する
ということは、こうした情報の流れをつくることをも
意味するのです。
◇ チャップリンのモダンタイムズを持ち出すまでもなく、
昔から、人間にとって、工場生産は悩みの種でした。
工場生産のお陰でわたしたちの豊かな社会は築かれてきたものの、
分業は、人間の生活のリズムを狂わせてしまった、
それだけでなく、生きがいも奪ってきているのではないか、
という不安が心のどこかにありました。
そして大量生産-大量消費の社会パターンが
行き着くところまで行き着くと、
昔ながらの分業が見直しの標的になりました。
そもそも分業は、人間が求めるところとは別に、
無駄な在庫を積み増すロスの多い生産システム
だったのではないか・・・、
と、反省がうながされたわけです。
◇ しかし、真犯人は、実は、分業でも、工業化でも
なかったのかもしれません。
要は、情報の流れが分断されてしまっているから、
在庫が積み増されるのです。
働く人々も、 ユーザーから伝わるべき情報が
どこかで分断されてしまっているから、
自分の仕事の意味が見えにくくなるのです。
一人屋台はなぜ成果が上がるかというと、
「一人」の中では、情報が統合されているからでしょう。
分業に慣れる中で、人は次第に他者の仕事に対する
関心を失ってゆく。Aさんは「仕事 a 」だけに専念し、
Bさんは「仕事 b 」にだけに専念し・・・、
という具合になりますと、Aさんも、Bさんも、他者の仕事に
関心がなくなる。
顧客情報が次第に生産プロセスに伝わらなくなってしまうし、
商品づくりの意味づけが わからなくなってしまう。
そのことこそが問題だったのではないでしょうか。
◇ つまりコミュニケーションの欠如こそが
現代社会に特徴的な問題だろう
と、こう思うわけです。
ここを乗り越えるには、やはり
情報技術に活躍してもらわなければなりませんが、
コンピュータネットワークだけが問題なのではありません。
異なる世界への関心をどう呼び覚まし、そこにどうやって
人間的なコミュニケーションを築いてゆくかといった、
ヒューマンな情報技術こそ重要です。
こんなところに現代人の挑戦があるのだ
と、思っているところです。
2002.8 三戸祐子
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