船内の夕食は誰かと約束が無い限り"Company Table"で相席を希望している。知り合いが増える楽しみもあるが、夫婦2人だけで食事すると家族構成や出身地の話題で盛り上がることも出来ず間が持たない。会話が弾む前提での時間間隔で料理は出て来るから手持無沙汰になる。4人テーブルなら相手夫妻は我々としか話が出来ないから問題ないが、6人テーブルだと外人同士で盛り上がり我々が置いて行かれることがある。しかし最近では要領を得て、先日は8人テーブルでも疎外されることは無かった。
疎外される場合には次のような原因がある。(1)情報量の少ない発言が私は苦手だ。情報の受け手の予想と異なる程度、相手が驚く程度が情報量だ。当然予想できること、知っても何の役にも立たぬことを発言しても、自分にとって無駄だし相手に失礼だと思って無口になり易い。因みに「うつせみ」は限られた字数に出来るだけ情報量を盛り込もうとしている。
また(2)会話進行の途中で、情報量のある発言が出来ると思っても、他人の発言が相次ぎ、当方が発言し損なっている内に話題が移って発言の機会を失うことがある。(3)日本語なら考えさえまとまっていれば話しながら表現は調整できる自信があって話し始めるが、英語だと果たしてうまく表現できかどうか、話している最中にもしかして重要単語を知らない事実に遭遇するのではないか、という心配から、頭の中で或る種の予行演習をしているうちに発言の機会を失うことがある。上記3点のうち(1)は言語に無関係、(2)は少し関係、(3)は完全に英語能力に依存する。
しかし或る時から私は悟りを開いた。夕食の会話やパーティーでの対話は、真剣な会議の発言とは異なる。情報量があっても無くても、誰かがしゃべっていることが大事で、内容はそれほど大事ではない。色々考えて会話から疎外されると場の雰囲気を壊し、ろくでもない発言をするより罪が重い。(1)情報量や有意義な発言かどうかと関係なく、とにかくしゃべろう、ということだ。(2)一度発言の機会を失っても、ぬけぬけと「さっきの話だけど」と話を蒸し返しても良いではないか。(3)途中で詰まったら別の表現で言い直したり、単語を尋ねても良い。それらは充分許して貰える。この悟りに至ってから、疎外されることが少なくなった。
英語の国際会議では、私は発言の機会が全員に与えられた瞬間に真っ先に手を挙げて発言することにしていた。そうすれば(2)話題が移行する心配はないし、その件は先程議論したなどということもない。(1)(3)情報量のある発言をうまく出来るよう予め考えておく時間があることが多い。
但し外国語で会話する時は、頭脳の一部が言語処理に忙殺されるために、思考能力が低下するのは避けられない。先日もこんなことがあった。船の洗濯室で洗濯を終えて船室に持ち帰った洗濯物の中に、他人の靴下が片方だけ入っていた。洗濯物を取り出す時に隅にへばりついている衣類が無いかは充分チェックするのだが、入れる前にチェックしなかったための事故に違いない。慌てて洗濯室に片方の靴下を持っていき目立つ所に置いてきた。その時の言い訳を聞いたその場の奥さんが私に「あなたには片方だけの靴下を使う智恵がないの?」と冗談を言った。一瞬理解できず、しかしすぐ分かって大笑いして場を去った。日本語だったら「ガラス拭きには小さ過ぎるし」とか冗談を返せるのに、言語処理に一生懸命で意味論処理まで手が回らなかった訳だ。これは言語能力の問題だから仕方ない。
受験英語が役に立たないとよく言われるが、私の場合は受験勉強で覚えた英単語の語彙が英会話に非常に役立っていると感じている。但し単語の覚え方が大事だ。例えば「Cold」という単語を「寒い」という日本語と連動して記憶し、Coldと聞いた時に「ウ冠」がチラチラするようでは英会話の役には立たない。私は受験時代に英会話にも役立てようと思って英単語を覚えた訳ではないが、「Cold」は寒いという「感覚」と連動して記憶した方が、英作文でも英文解釈でもスピードが得られることに気付き、そのように努力してきたのが、今役立っていると思う。
2か月以上も英語で生活していると、英語でものを考えるようになって来ていることを感じる。帰国してから1-2週間問題がありそうだ。 以上