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短編随筆シリーズ「うつせみ」より代表作 Photos of flowers, butterflies, stars, trips etc. '96電子出版の句集・業務記録

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うつせみ
2010年 3月 1日
         アフリカに近いFortaleza

 Amazon奥地を除くBrazilは日本とは12時間の時差だ。経度的に1時間遅らせた方が良さそうなArgentinaも「早起き推奨」か、Brazilに後れをとらぬためか、Brazilと同じ時間にしているので、南米東海岸を北上する私共は2月6日にArgentina南端に寄港して以来2つの例外を除き1ヶ月間同じ時間帯に居る。Argentinaよりも東にあるFolklandは経度に合わせた時間を採用しているのでArgentinaよりも1時間遅く、時間帯が逆転している。またUruguayは夏時間を採用していたので他とは1時間違っていた。

 時差12時間というのは便利だ。朝の7時は日本の夕方の7時とか、夜昼逆転して考えればよいから、日本と通信する場合に考え易い。午前中は日本と同じ日付で、正午を過ぎると日本が1日進む。Chile大地震の津波が何時に日本に到着するとか、何日発のニュースとかも、実感が持てる。

 このBrazilの時間は驚いたことにGMT=Greenwich Mean Time=英国時間と3時間しか違わない。南米と欧州は随分離れている感覚があるが、アフリカから分離して間もない(?)南米大陸は意外にアフリカとも欧州とも近い。New YorkなどのEST=Eastern Standard TimeですらGMTと5時間しか離れておらず、日本とHawaiiの時間差と同じだ。私共が東京からFloridaまで飛んで来たことを知った米東海岸の人は、長時間の旅は大変だったねと言いながらほとんどは欧州経由で来たと思っていた。さすがに米西海岸の人はそうは思わなかったが、東海岸の人にとって欧州は近く日本は遠い国のようだ。欧米発行の世界地図でそれが良く分かる。日本は右端(極東)にあり、米国に来るには欧州か中東を経由するしかないように見える。

 私共は2月27日28日をBrazil北部のCeara州の州都Fortaleza市で過ごした。ポルトガル語の城塞=Fortressだそうだ。南緯3度の赤道直下で、市で2.5M、近郊を含めて3.5Mの人口を擁する。Brown 61% White 34% Black 4%というから、人種もアフリカに近い。1500年にスペイン人が探検し領有しようとしたが国同士の条約でポルトガルの領地となり、一旦オランダが占領して城塞を建設したのを、ポルトガルが17世紀に奪い返したという。何十kmもクリーム色の美しい砂浜が続く土地柄で、一年中海水浴場として賑わっている。この砂がSahara砂漠の砂と同じなので、黄砂と同様の現象で飛んできたという講演を船上で聞いたが、そんなことはあるまい。南米とアフリカの緊密性を説明するには都合のよい説だが粒子も量も違う。Sahara砂漠の砂と同じとすれば、次のような成因だと私は考えた。

 南米大陸北部、Amazonの北側にはGuiana高地がある。また南米東海岸、Amazonの南東側にも高地があり、それが一部浸蝕されてRioの岩山になっている。一方アフリカのNigeriaから南端にかけても高地があり、南端ではCape Townの岩山Table Mountainになっている。これらは元々一体の高地であったが、大陸が分離した時に真っ二つになった。従って南米大陸が分離生成されたばかりの頃は、今のAmazonは西行して太平洋に流れていたという学説が認められている。南米大陸が西に移動するうちに西側に皺が出来たのがAndesだ。今のAmazon流域は巨大な湖になったが、南米大陸の西高東低化が進んで、Amazonが東に流れて大西洋に注ぐ現在の姿が出来上がった。元々同じ高地だった岩山を川が削って砂にしたのだから、Sahara砂漠もFortalezaも同じ砂になったに違いないというのが私の解釈だ。

 Fortalezaの浜は一見綺麗でも公害が酷いとのことで、西の郊外Cumboco村の浜に行った。巨大な砂丘が連なるのを、現地ドライバが四輪車Buggyで走り回る。わざと砂丘の急斜面を選んでジェットコースタのように下る。私は或る斜面で板を借りて乗り、両手でブレーキ兼方向調整をしながら下る冒険を試みた。私はうまく出来たが意外に要領と運動神経が必要だ。海の家に戻って椰子の実を一つずつ与えられ、ほのかに甘いジュースを味わった。折角だから思い出のために泳いでみた。外洋だけに波は荒いが、アフリカに連なる水もアフリカと同種の砂も綺麗だ。もっとも公害の浜の隣が本当に綺麗かどうかは知らぬが仏だ。近くで泳いでいるのは2-3人というのもいい。子供の頃の瀬戸内海はこうだったと童心に帰る。

 意外にもアフリカを近く感じたBrazil北部の一日だった。    以上