65泊で中南米全体を巡る旅が終って今我々はFloridaに向かっている。この旅の前までの私は、Mexicoの米国に近い地域とMexico City、Rio de Janeiroを含むBrazilの3つの東海岸都市、Carib海の一部の島々しか訪ねたことが無かったから、今回も表面的に見たに過ぎないものの一挙に見識が広まったことになる。小国のBelize、Folkland、Guyanaは英語の国、仏領Guianaは仏語の国、Surinameが和語の国(オランダが英国に頼んでNew Amsterdam→New Yorkと交換)である以外は、広大な中南米は全てスペイン語・ポルトガル語で塗り潰されている。両国の開拓精神と苦労が偲ばれる。それにしてもなぜ私はスペイン語を勉強しなかったんだろう。
最大の国Brazilは、ポルトガル人、アフリカ系黒人、原住民(Indian)の3色およびそれらの混血の国だった。地方によって様相が異なり、北部は原住民系、古都Salvadorを中心に東部は黒人系、Rio de Janeiroを中心とする南部では白人系の割合が高い。しかしBrazilは世界一人種差別が無い所で、白人と黒人の恋人・夫婦もよく見かけた。これだけ入れ混じると人種など気にしていられないのかも知れない。浜松市から観光に来たという日系二世三世の母娘にRioの観光地で流暢な日本語で話しかけられた。
SambaはRioのFavelaと呼ばれる黒人貧民街で生まれた文化だ。Sambaに影響されつつも原住民文化を色濃く映すBoi Bumbaという22歳以下の男女の歌と踊りを、Amazon中流のParintinsという小さな町で見た。私はBrazilのSambaは好きになれないのだが、Boi Bumbaは良かった。
Amazon奥地の保護区には、今でも文明に背を向けた原住民が居るが、文明に触れつつも浸りきれない原住民系の人々にAmazon流域で接した。先祖伝来の質素な生活に観光収入・政府支援・文明に巣立った息子達の仕送りで衛星TVや学校が普及しつつある。ジェット機を輸出するBrazilに、黒人貧民街や原住民部落があることに改めて驚く。Rioでは10匹ほどの犬を連れた「犬の散歩屋」という低収入層の商売があることを知った。
Rioは美しい街で私は好きなのだが、ワイフは「あなたは待つのが嫌いで論理的だからRioの人々とはうまくやっていけないわね」という。Rioは鉱物資源をBrazil中から集めた宝石の街でもあり、女性の関心が高い。
南米第2の大国Argentinaは、或る時に原住民を大量殺戮したそうで、黒人奴隷の導入も少なかったため、スペイン人・イタリア人を中心とする欧州系が人口の87%を占めお隣のBrazilとは対照的だ。もっとも髪が黒く肌が浅黒くあまり背が高くない南欧人だ。初めて訪れたBuenos Airesは美しく、私の好きな都市の一つになった。そこで見聞きしたTangoは、その昔習い覚えたダンスとは異質のものだったが、その優美さに魅了された。
ChileとArgentinaの南米南端Patagoniaは、氷河・Fjordとペンギンの国だった。サハラ砂漠よりも人口密度が低いとかで、夏でも寒いが自然の景観が素晴らしい。海流の関係で東側Chile側はArgentina側よりも寒さが厳しいことを知った。PatagoniaのAndes山脈は海嶺になって南極大陸につながっている。気候も景色も連続している。Chileの港ではマグロが無造作にトラックに積み込まれていた。日本から遠い国だが関係が深そうだ。
Chileと大陸棚の国境争いで仲が悪いのがPeruだ。Peruはインカ帝国の末裔がスペイン化された国だった。Machu Picchuを初め多くの遺跡があり、人々の顔もインカの戦士だった。Peru北部とEcuadorでは古代文明の遺跡を見た。日本の縄文・弥生文化とほぼ同じ時期と文明だ。
Panama運河を初めて見たから印象的だった。船が山に登るという言い方があるが、巨大船がせり上がっていくのは感覚的に奇妙だった。但し近代技術をもってすればもっと高速化によるコスト低減が可能だと思った。
Yucatan半島はMayaの国だった。俺はMayaの末裔と誇らしげに言う人が居た。熱帯雨林に埋もれた遺跡を見学し、Mayaは文字を持ちゼロを発明していたと聞いて驚いた。Mayaは南米の文明を引き上げる貢献をした。
いずれの国も庶民の生活は質素で貧しい。その割に努力しないのが如何にも中南米だ。しかし国際化の波に乗れれば今後発展の余地があることを感じた。2016年のRioのOlympicsがその契機になるかも知れない。 以上