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短編随筆シリーズ「うつせみ」より代表作 Photos of flowers, butterflies, stars, trips etc. '96電子出版の句集・業務記録

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うつせみ
2010年 1月30日
           Machu Picchu脱出行

 Regentの船客68名がMachu Picchu遺跡の観光を満喫した後、唯一の帰路である鉄道が洪水で流され、Machu Picchuの町で足止めを食らった。

 我々一行はそんなに降られなかったが、Andes一帯の豪雨でUrubamba川が大増水になった。その護岸の無い右岸に沿って線路がある。前日に不通になったが応急修復が出来た24日に我々は、「聖なる谷」Ollantaytambo駅からMacchu Picchu駅まで列車で下り、Machu Picchu遺跡の観光を終えた。しかし帰りの列車に乗るはずが再び不通となった。

 こういう場合に団体旅行は楽だ。しかも我々は最高のガイドに恵まれ、またRegentという発言力の強い旅行社の傘下にあった。Regent本社は米国務省を通じてPeru政府に圧力を掛けてくれたと後で聞いた。  川縁のSumaqホテルのロビーで休息するうちに線路修復が出来、大群衆が詰めかけた駅に行って1時間待ったが、「川が暴れ危険なので今夜は出ない」ことになった。ホテルで寝たが、夜中に地震と思って目覚めたのは、川の波が岸をドシンと打つ度に、窓もベッドも揺れるのだった。

 眠れぬ夜を25日の4:30amに起こされた。大群衆が駅に押し掛ける前に列車に乗せてくれる配慮だったと思うが、列車は出なかった。10am頃ホテルが危険になったからと広間での待機を命じられ、避難路が指示された。ホテルから道を隔てた川岸に奔流が激突して左折する地形だったからだ。そのうちに減水傾向が見られ、広間待機は解除され、避難路経由で町に出ることが許されたので、私は歯ブラシを買ってきた。半日の旅で荷物は全て自分で担ぐ予定だったので、皆着替えも化粧品も持っていなかった。

 12nに招集され国軍のヘリコプタに乗るためにサッカー場に急いだが、既に噂を聞きつけた大群衆が居て、ヘリが着陸できる状態ではなかった。病人だけが秘かに別のヘリポートから発ち、我々はホテルに戻ったが、再び増水が見られ、ホテルからの退去命令が出た。我々はInkaterraという広大な熱帯雨林に離れが散在する超高級ホテルに移り1泊した。後で振り返れば、このホテルに泊まること自体が脱出計画の一環だった。

 翌26日朝私はTV朝日の電話取材を受け、現状を説明した。早速日本から「松下さんの声をTVで聞いた」とのemailが届いた。午前中に体力的弱者数名が呼ばれ、ホテルのヘリポートに出て行った。次いで全員が招集された時、私共二人はなぜかガイド直後の先頭に立ってしまった。脱出ヘリ一番機には現地有力者の家族と見える人が乗った。二番機に弱者と私共合計18名が乗った。米国務省の圧力で途方もない優遇を受け、外国人である私共二人はそれに便乗した形となった。Regentグループは数便でその日の内に脱出できたが、その直後に並んでいた日本人団体客は乗れなかった。そのうちに「なぜ外国人を優先するのか」という世論が沸き起こり、28日になっても日本人は脱出できなかったと聞く。偽米人で助かった。

 軍用ヘリはMachu Picchu遺跡を観光するが如く真上を飛んだ。30mも路盤が流された線路や、1km以上冠水した線路を見ながら飛び、Cuzco空港に着いたらRegentの代理店が待っていて、Cuzco一番の高級ホテルに案内された。飛行機の定期便はほぼ満員だし、チャータ便がなかなか交渉成立しないとかで、Cuzcoでは自由時間があったが、標高33百米では一寸動くと息が苦しい。翌27日午後やっと手配できたチャータ便で首都Limaに飛び1泊した。翌28日に、既にChileまで南下している船に追い付くチャータ便が用意されたがPeru政府が拒否したという。現在PeruとChileは大陸棚の国境を巡って険呑な関係にあり、両政府の許可をとるのが難しいという。結局両政府が口出ししにくいColumbiaの飛行機をチャータした。

 29日4amに起きて準備し、出国手続き等の後やっと離陸すると機内に拍手が起こった。Chileの首都Santiagoでの入国は日本人は容易だったが、なぜか米人は$135も入国税を払った上に面倒な手続きがあったようだった。Sanchiagoから港町Valparaisoまでバスで100分の移動の後、5:40pmに船に戻った。船では凱旋軍歓迎のように楽隊が演奏し、船長以下メイドまでが2列で出迎える中を、カクテルを片手にタラップを上った。結局2泊3日のはずが6泊7日になっていたが、異常に恵まれた脱出行だった。 以上