Mayaという名を聞き知ってはいたが、具体的概念を充分持っていなかった。今回Yucatan半島東岸を南下してみて、そこがMaya民族、Maya文明、Maya言語の国であることを初めて実感した。Yucatan半島先端のMaya遺跡を訪ねた帰路に、Ferryの待時間に立ち寄った装身具店で、初めて見た美しい橙色の石を尋ねたらMexican Opalと言われた。Mexican Opalは透明な石に青・緑・赤が浮かぶ石だと思っていたので驚いたが、Mayaの国ではこれがMexican Opalであることを知った。「俺はMaya」と言う実直そうな店主に好感を持ち、愛妻に8mmほどの石のPendant Topを$100で買った。
地図から想像出来るように、中米には屋台骨のように山脈が通っている。Yucatan半島にも山脈があるように地図の形から想像していたが、これは間違いで、まっ平らな熱帯雨林で湿地帯だった。途中で遠望したCubaも比較的平らな地形だったから、FloridaのEverglades国立公園からYucatan半島まで類似の地形で、隆起した海底らしい。日本人には見渡す限り地平線までまっ平らな土地は感動的だ。ここがMayaの世界なのだ。但し言語学的には、Mayaの起源はYucatan半島の付け根であるGuatemalaの屋台骨の高地にあり、それが北方の平坦地に広がったとされている。
1万年前から住み付いた形跡があるが、Maya文明としての遺跡はBC25世紀辺りからだ。石器土器と定住を特徴とするPreclassic文明だ。250ADに文字・暦が広く使われるようになって以降をClassic期という。文字の起源は従来200-300BCとされていたが、National Geographicが最近400BCの証拠を発見したという。日本より遥か昔に新大陸唯一の独自の文字を持っていた訳だ。Classic期には都市国家ごとに石造のピラミッド型の礼拝施設を初め各種の建物や記念碑が沢山作られ、文明は爛熟期を迎える。しかし900AD以降文明は衰退し、都市国家は放棄されていく。原因は諸説あるものの有力説は干ばつだ。これをPostclassic期という。スペインの侵略者が来た時には、Yucatan半島の南部の文明は忘れられていたが、北部の都市国家は厳然として存在し、(中央集権のインカなどとは異なり)スペイン人はそれら一つずつと戦って行かねばならなかったため、および金銀産出のインセンティヴが無かったため、征服に170年掛ったという。
Maya文明は不思議な文明だ。ゼロの発明はインド人だが、Maya人は独自にゼロを発明し、20進法で桁取りをしていた。365日の年と260日のサイクルを干支のように組み合わせて年月日を数え、「還暦」(日の組み合わせが同じ)の52年を以て1世紀とした。有史以前の3114BCの8月11日をカレンダの始まりとし、もう間もなくの2012年12月の冬至を以てカレンダの終わりとする。カレンダが生まれ変わるからには世の中が大きく変わると信じられてきた。文字は象形文字で1千種類近くあり、ほとんどは表意文字、200ほどが表音文字で(音素ではなく)日本語の仮名と同様音節を表す。つまり漢字仮名交じり文だった訳だ。樹皮から紙を作り本を作っていた。但し綴じた本ではなく、経本のように折り畳んだ本だ。このように非常に発達した面がある一方で欠けていたのが、使役の家畜、車、金属だった。このため土木作業には莫大な人力が投入された。今Mayaの言語の話者は7M人という。Mayaを自称する人は米Indianに似た浅黒い顔つきだ。
私共はYucatan半島東岸の3つの国で、すなわちMexicoのYucatan半島先端でPostclassic、BelizeでClassic、GuatemalaでPreclassicの遺跡を見学した。但しそれらを明確に区別できるほど目が肥えた訳ではない。いずれも(Egyptのピラミッドと異なり)人が運べる大きさに切り出した花崗岩を重ね、花崗岩を粉末に砕いて焼いたセメントでつないだ石造構造物が年月に耐えていた。Mexicoでは海辺を高い石壁で囲った構内の中央にピラミッドがあった。Belizeでは熱帯雨林の中の水路を1時間上った先に、熱帯雨林に埋もれるように散在する遺跡を見た。GuatemalaではCeiba類のKapokという直径数米の巨樹が国の木として指定されていて、それが遺跡の間に散在していて壮観だった。王が業績を後世に伝えるために建てた数米〜十米の記念碑が多数あり、世界遺産に登録されている。
幸いこの機会にMaya文明に興味を抱くことができた。 以上