私が中学生の時、テレビはまだ無くて、NHKラジオで「話の泉」という番組に人気があった。博識の司会者が問題を出し有名人の回答者が正解を競う。或る時「Panama運河を東に進むと太平洋に出るか大西洋に出るか」という設問があり、回答者の一人が「そんな出題をするからには常識の反対で太平洋なんでしょう」と言い、司会者が「正解です。東経180度の向こう側ですからね」と応じた。へーそうなんだ、北極を超えると南北が逆になるのと同様に、東経180度を超えると東西も逆になるのかと私は素直に誤解し、学校でそれを開陳し皆を驚かせた。黙っていた担任の先生は翌日「東西が逆になるんじゃないよ。地図を見てごらん。東側に進むと太平洋に出るんだよ」と教えてくれた。私はPanamaの位置は知っていたが、地形までは知らなかった。図書室で地図を見ると、Panamaは東西軸上にS字を描いていて、S字中央の逆転部に運河があり、北西端が大西洋、南東端が太平洋だった。恥をかいた私は番組の司会者を恨んだ。
以来Panama運河は遠い憧れの存在で、今回のCruiseの期待の一つだ。先日船内の講義の席で、Panama運河を通った経験がある人という設問に、驚いたことに4割の人が手を挙げた。RegentはRepeaterが多いのだ。
1月18日いよいよそのPanama運河に船が差し掛かった。水先案内人が乗り込む所から見ようと、5:30amに最前部の展望ラウンジに駆け付けたが、既に最前一列は満席だった。後で分かった所では、時間帯が変わるから時計を1時間進めろというメモが部屋に入っていたのを見落として、私は1時間遅刻していた。予定通り8am頃船はGatun閘門に差し掛かった。Suez運河は掘割型だが、Panama運河の大部分はダムで堰き止めて作った巨大なGatun湖を行く。標高26mの湖面に船を持ち上げるために、各3段の閘門が両側にある。掘割型にしなかった理由は建設費の他に、大西洋は太平洋より潮の干満が小さいため掘割運河だと急流になることがあったそうだ。
閘門は左右2組あって、適宜上りまたは下りに使われる。客船とロシアの訓練帆船が先行している。並んで閘門に入り競うようにせり上がっていく。閘門で船は船首と船尾を両岸からロープで引かれる。昔はラバが引いたためか未だにMuleと呼ばれるのが、GE製蒸気機関車を置き換えた三菱重工製電気機関車だ。老婦人が「どこにMuleが居るの?」とキョロキョロした。1914年開業時の技術そのままに、閘門の水は自然の重力で満たし排水するから、最初は急速に動くが落差が小さくなるに従って遅くなる。近代技術なら巨大なポンプを使う所だ。1隻の船を3段の閘門で押し上げてから次の船に取り掛かるため、待ち時間が長い。これも近代技術なら組立ライン制御のようなことが出来そうだ。結局閘門通過に2時間掛った。
1隻の船を通すのに25万トンの水が失われる。1日24時間稼働して最大51隻、平均もそれに近い47隻が通過している。それだけこの地には雨が降るということだ。我々の客船の通行料は\13Mと聞いた。それでも儲からないほど費用が掛るという。先行する客船は驚いたことに、湖面に出ると直ぐ左折して停泊し、Tender(小舟)で船客を上陸させ始めた。上陸観光のあと同じ閘門を下って大西洋に戻るそうだ。運河は渡るばかりが使い道ではないようだ。我々は湖面に設置されたブイに沿って快適に進む。周囲の緑は夏にはJacarandaの花で一面の紫になると聞いた。
米国が1903年に強引にColumbiaからPanamaを独立させて翌年運河建設を開始し、1914年に完成したのだが、1999年末を以て米・Panama折半所有の会社(9千人)の運営に移行した。必ず水先案内人が2人乗船してきて、船長に代わって指示をする。これは世界でもここだけだという。現用の2組の閘門に加えて第3閘門を建設中だ。許容船舶サイズを大きくし、水は貯水池にポンプで溜めて6割の節水をするという。
1pm頃下りの閘門に掛り、太平洋側に抜けたのは4pmだった。朝閘門に掛ってから午後に抜けるまでに8時間掛ったことになる。太平洋岸に位置するPanama市は田舎都市だろうと思っていたがとんでもなくて、遠望すればSan Franciscoより多数の高層ビルが林立する近代都市だった。20世紀初めの古き良き時代の技術とスペクタクルを堪能した1日だった。 以上