Patagoniaとは南米南端部の地名だ。Ferdinand Magellanがこの地を探検した時に、スペイン人の当時の平均身長155cmに対し180cmという巨人の原住民Tehuelches族を見つけ、なぜか彼らをPatagonと命名したのが地名の由来とか。寒い環境では体が大きい方が適者生存を得る。Buenos Airesとその周辺は別として、それより南の未開地がPatagoniaの範囲だ。最南部を例外として、大きくはAndes山脈の西がChile、東がArgentinaだ。
南米の粗い地図を見ると、南米の南端は少し東に首を振った岬になっているように見える。その先端がCape Hornだろうと私は誤解していた。南米南端はAndes山脈の山頂だけが残った多島海で、一番南の小島の南端がCape Hornだった。ポルトガル人Magellanは周辺を探検し、Cape Hornまで南下しなくても多島海の内海をすり抜けられるMagellan海峡を発見した。この海峡の島々はAndesの東西両側を含めてMagallanes(Magellanのスペイン名)というChileの12番目の行政区で、東のArgentinaに接する。
日本の黒潮とは反対に南半球では反時計回りの海流がある。西海岸はHumboldt寒流が南極から流れ込むために寒く、東海岸は赤道からの暖流で相対的に温かい。船はその寒い西側の多島海のFjordを南下した。山々は真夏の今でも標高数百米以上は雪が積もり、もっと高いAndesからの氷河が海に流れ込んで流氷になる。最初は氷河を見る度にカメラを持って飛び出したが、あまりにも氷河が多いので段々熱意が失せてきた。夏は雨季で、雪山を覆う低い雲が空一面にたち込めて陰鬱な雰囲気がある。
Chile最南端のPunta Arenas市に立ち寄った。無人のFjord地帯を南下した後に人口15万人の立派な市を見たので不思議だった。Universidad de Magallanesがある。Magellan海峡に面したこの町はAndesの東側なので、気候は比較的温暖で北欧の都市のように感じた。Panama運河が出来るまではMagellan海峡を行く船の中継港として栄えたが、Panama運河開通以降は金と銅の鉱山で食っているという。世界で最南端の「市」として売り出しており、飛行機便も多いそうで、観光収入もかなりあると見た。日本人観光客の一団に出会った。大木の緑に覆われた町の中央広場には、Magellanの銅像を囲むように民芸品の露店が数多く出ていた。曾祖父がScotlandから移住してきたという或る農場を観光の一環で訪れ食事をした。Llamaと羊を飼育している。つまりここは牧草が育つ環境なのだ。
因みにChileはMagallanesの南に続く南極大陸の南極半島を含む南極点を頂点とする37度角のスライスをChile領土と主張しているがArgentina・英国の主張とも重複している。Magallanesのど真ん中に「Chileの重心」の標識があったのは、南極大陸部分を含めての重心だ。
Punta Arenasよりも南に位置するArgentina最南端のUshuaiaは、世界最南端の町を称している。といっても人口7万人の立派な町だから、最南端の「市」はPunta ArenasというChileの主張との両立を図っているに過ぎない。観光・漁業よりも大きな産業は、町のすぐそばにある空港を利用したArgentinaの軽工業の組立作業で、おかげで人口の65%は18歳以下と聞いた。夏は17時間が昼だという。Ushuaiaは、最後に東に向かったAndesの南麓にあり、Table Mountainの麓のCape Townを連想させた。従って気候は厳しい。1920年に囚人を乗せて原始林伐採作業のために走り始めた軌道幅60cmの世界最南端の鉄道に乗って国立自然公園を見学した。また沖の小さな無人島に鵜が群れ、アシカが重なるように横たわるのを見た。ここの鵜は胴体が太く初めはペンギンかと思ったが、飛ぶのを見て訝った。
Andesは南極大陸に続いている。間の1000kmが強烈な力で東側に吹き飛ばされた形でヘアピン状の海嶺になっている。南極大陸側で顔を出したAndesが南極半島で、南極横断山脈に連なる。南極半島の西に付属する多島海にShetland列島があり、そのDeception島の噴火湾に船は入ろうと2度試みたが、生憎990hPaの低気圧が強風を呼んで入れなかった。代わりに翌日Elephant島に近づいた。共に雪と氷河に覆われた島影をはっきり確認できたし、周囲にはテーブル状の巨大なものも含めて沢山の薄青い美しい氷山が流れていたので、南極大陸の入口は見たことにしよう。 以上