Brazilに産出する多種類の宝石で成功している会社がRio de JaneiroのH.Stern社だ。数年前に85歳で没したユダヤ系独人Hans Sternが興した。非常に商売がうまい。National Geographic Magazineにしばしば広告を出し、原石に近い低品位EmeraldのNecklaceなどを巧妙な宣伝文句でUS$199ほどで大量に通信販売している。故社長のアイディアで男女用高級腕時計の文字盤周辺に多角形にSapphireを敷き詰めた商品が大ヒット中だ。船がRioに到着する2週間ほど前から社員を船客として乗船させている。彼らは船客と仲良くなり、Rioに着いたら車とガイドを無料で付ける、買う義務はないが店には寄って欲しい、という商談を誰彼となく持ち掛ける。嬉しい話なので乗る人は多い。十二分に採算に乗っているようだ。
実は私のCanon Zoom Lens 18-200mmが壊れてしまった。修理可能だろうが旅先では新品を購入する他は無い。それすらも商品在庫のある店を限られた上陸時間内に英語で探せるかどうか。下心をもってH.Sternの人に話したら、快くBuenos Aires支店に電話して市内の商品在庫を捜させ、車とガイドを付けて買いに連れて行ってくれた。ワイフはSapphire Watchを買うことが出来てCanonのお陰と喜んでいる。この時のガイドはよく気がきく美人で、英・仏・スペイン・ポルトガル語を操るが最近隣国から帰国して職がなく、US$500の月給(法定最低賃金)で臨時社員になっているが、翌日他社の就職面接を受けるとのこと。薄給を聞いてしまったので、チップを差し上げて失礼にならぬかと尋ねてから厚めのチップを渡した。
しかしRioでのH. SternのBrazil人女性ガイドは駄目だった。主な観光地は既に見ているので、船から観光バスが出ている貧民街と郊外の森に個人的に連れて行ってくれと頼んだ。貧民街は許可証がないと駄目と言われ納得して諦めた。郊外の森も拒否された。理由が明確なら諦めるのだが、道路が良くないとか強盗が出たとか、納得できない理由を挙げるので言い合いになった。どうも有名観光地の範囲を手軽に観光させて店に連れ込む作戦らしい。そうならそうとハッキリ言えば、嬉しいかどうかは別にして理解するのに、理屈にならぬ理屈をクドクドと繰り返す自己主張にとうとう私は立腹してしまった。客の要望を本音では断りたいとしても、何とか実現する努力のフリくらいはして見せてもよいではないか、という私の不満がつのり、1日中の予定だったこのガイドとは10時過ぎに別れた。
ワイフの曰く「あなたはRioの景色が好きなようだけど、論理的過ぎて人々とは合わないわね。」 2002年に来た時には、相手してくれていた営業マンが上得意の急な来訪で席を外し、代役は商談を進めるよりも間を持たせるのに懸命で商談が進まず、私は席を立とうとしたことがあった。
H.Stern本社ではF氏という日本人がお相手してくれた。日本企業のRio駐在員をしているうちに現地人と結婚し、企業の体制縮小で日・英・ポルトガル語が出来ることが買われてH.Sternに就職したとか。予定の買い物を済ませ、しかし興味本位で見せて貰った特産のParaiba Tourmalineが気に入ったが金が足りず、上司の独人の責任者の面接(だったと思う)を受けた上で、F氏に付け馬になって頂き波止場で支払った。ワイフはこの独人に気に入られたようで、豪華なお土産をプレゼントして貰った。
「Rioのカーニバル」の混雑を避け、翌週に船はRioに入った。余韻の残る街で夜遅く始まるSamba Showを劇場に見に行った。Brazil人が皆大きい訳ではないが、ここの黒い女性ダンサはハイヒール込みで190cm以上かと思われる巨体揃いだった。中には美人も居たが、ダンスそのものはあまり好きになれず、浅草サンバ祭の方が芸術的かと思った。ショーの半ばで男が舞台に上がり国名を列挙してその国から来た客を歓迎した。「Japan」の時には私が大声で応えた。それが良くなくて「上を向いて歩こう=スキヤキ」が掛り、男が私を舞台に手招きした。一旦は断ったが結局は舞台に上がり1曲歌った。胸の高さの舞台に跳び上がり跳び下りたことが同席の船客を驚かせて評判になり、多くの人が写真を送ってくれた。
先回工事中だったSugar Loafが今回は登れたし、Corcovado・植物園の再訪も果たした。思い出深い麗しのRioを後に北Brazilに向かう。 以上