Rio de Janeiroの北北東120kmに、中心部が世界遺産に指定されているSalvador de Bahia市がある。南緯13度の熱帯だが、Rioに次ぐ観光客を集めている。他と区別するために「Bahia州の」という形容句が付くが、付ける必要がないほど大きく有名な都市だ。1549年に建設以来1763年までBrazilの首都だった。SalvadorとはSavior=救い主の意味だ。
Brazilの東海岸から三角形の半島が南に突き出しているために、大西洋から北北西に蛸壺のように入り込んだ天然の良港が形成されている。BahiaはBay=湾の古語だそうだ。16世紀初めにポルトガル人が着目して南米開拓の中心地とした。アフリカから無数の黒人を奴隷として連れてきて周辺で砂糖黍を栽培した。白人1人に対して5人の奴隷が居たという。その奴隷と砂糖の集散地としてSalvadorは空前の発展を遂げたが、金とダイヤの港として発展したRioに首都の座を奪われた。その後首都は周知のように内陸の人工都市Brasiliaに移転した。なおSalvadorはポルトガルに対抗した独立運動の発祥の地で、1823年のBrazil独立に大きく貢献した。
奴隷制度は「黒人は我ら人間ではない」という1点さえ納得してしまえば、合理的で道徳的な制度だ。虫ケラすら輪廻の次の世では人に生まれ変わるかも知れないとする仏教ではあり得ないことだが、ユダヤ教の選民思想を受け継いだキリスト教は、アラブ人は我ら人間ではないという宗教観で十字軍やReconquista(Iberia半島からアラブ人を駆逐)を戦い、新大陸でIndianを追い詰めた。黒人やIndianへの布教が進むにつれ、彼らも人間だという修正がキリスト教内で徐々に行われ奴隷制度は廃止された。
市の人口295万人、広域都市部を含めて372万人の大都市で、BrazilではSao Paulo、Rioに次いで3番目の人口を誇る。広域都市部の調査によればBrownと自称する人口が56%、Blackが27%のため、8割以上がアフリカ黒人系とされている。白人は16%を占めるに過ぎない。アフリカ以外で最大のアフリカ黒人の居住地であり「黒人の街」だ。今や世界で一番人種差別の無いBrazilだから黒人への差別は無いが、貧富に関する差別は厳然としてあるという。つまり金持の黒人が白人地区に住むのは問題無いようだ。
市は丘の上の山の手と海岸沿いの下町に分かれる。東京の山の手と違って明確な断崖があり、平均85mの高低差がある。ここに1873年に初めて有料エレベータが導入され、以来設備更新しつつ今日でも動いている。下町は港湾地区、金融地区、市場地区で、山の手は宗教と行政の街だ。その山の手の中心が世界遺産に指定されており、昔の総督府が博物館になっており、全Brazilを統括するCatholic Cathedralがあり、Ruther派のSan Francisco教会がある。いずれも内装は金箔を張り詰めた金ピカで、それが当時の信者の憧れだったことが分かる。人口の61%がCatholicで、Protestantは13%と聞いた。Rioと同様に貧民街がある。
Brazilは貧富の差が大きい国だから人件費が安い。それを狙ってFord MotorsはSalvador郊外に大工場を作った。大製油所や石油関連企業もある。Brazilは国内消費量の135年分の石油埋蔵量を誇るが、砂糖黍を発酵させたバイオ燃料の使用でも世界の最先端を行く。こういう工業化と、Brazilでも特にのんびり屋の気風とどう整合するのか興味深い。RioのCarnivalが洗練された流派の代表の競演であるのに対して、SalvadorのCarnivalは全員参加型で、従ってRioより大規模で10万人が参加し、期間も長く1週間にわたる。それを見るために80万人が訪れるそうだ。
歴史地区を行くと、ホームレスが世界遺産の建物の前にうずくまって物乞いの手を観光客に差し出す。子供も物乞いをしたりろくでもないものを売りつけようとする。若い黒人女性がスカートの腰が大きく広がった伝統衣装を身につけて街角に立っていて、うっかり写真を撮ると2レアル=100円請求される。優れた望遠レンズの威力が発揮される場面だ。混血なのかハッとするような背の高い黒人の美人がサングラスで颯爽と街を通り過ぎ、急いでカメラを構えたが残念ながら間に合わなかった。
Rioに比べてなぜか暗い印象のSalvador de Bahiaを、私はあまり好きになれない。しかし世界遺産だから敬意を払わねばなるまい。 以上