文芸春秋3月号を購入した。妻は芥川賞「推し、燃ゆ」に、私は「コロナ第三波失敗の本質」に興味があった。後者は経済学者で分科会メンバの小林慶一郎氏の寄稿だ。筆者によれば、11月10日前後に分科会の空気がガラッと変わり、感染症専門家が慌て始めたそうだ。新規感染者の絶対数は8月後半とあまり変わらない段階なので、筆者は不思議に思ったという。今グラフを見ると、11月初めから低レベルながら指数関数的増加になっていた。指数関数の恐ろしさは、政治家を含む文系には無理なのかな。
11月12日に分科会は、「国民の行動変容を起こす情報発信が今必要」と政府に提言したそうだ。10月23日に開始したばかりのGo To Travelを中止せよと言いたかったができなかったのだという。この提言が無視されたので、11月20日と25日に分科会は「Go To Travelの見直し」を提言したそうだ。この辺りで対策がもし打てていれば、第3波はあっても軽く、1か月後には解除できていたかも知れない。実際には遅れに遅れて緊急事態宣言で飲食店が8時閉店になったのは1月7日だった。後知恵ながら、この1.5-2か月の遅れで、第3波は医療崩壊の入口まで行き、政府の出費も飲食店を含む国民の経済的打撃もより大きなものとなったと私は思う。
12月上旬に厚労省が責められたという。コロナ病床が一般病床で27k(k=千)床、重症者用に3.6k床が用意されたと報告されていたのに、重症者が4-5百人出たら逼迫し大騒ぎになった。判ったことは、厚労省はアンケートを集計して政府に報告しただけで、実現性の検証はなされていなかった。3月の第1波でコロナ患者を引き受けた病院は、想定以上に医療従事者の負担が重く、しかもコロナ以外の患者が遠のいて、経営に大打撃だったため、8月の第2波以降は病院はかなり引いたのだと筆者はいう。
筆者の経緯説明から私が解釈した所では、菅首相と小池都知事の確執があったように見える。菅首相は「反対に右顧左眄せず、Go To Travelは断固守る。知事が飲食店の時短をすれば改善するはず」、小池都知事は「国民の緩んだ意識が変らぬ限り効果はない。時短は守られない。国がGo To Travelを中断して緊急事態宣言を出さぬ限り、つまり政府の意識が変らぬ限り、国民の意識は変わらない」といった対立でもあったろうか。12月1日のお2人の直接会談は不毛だった。12月11-13日のNHK世論調査では57%が緊急事態宣言発令に賛成と答えたという。小池都知事は首都圏4知事の総意として1月2日に緊急事態宣言を国に要請した。加えて内閣支持率の低下があったので、菅首相は遂に決断の止む無きに至り、1月7日に緊急事態宣言を発令した。しかしその内容は第1回よりも優しい内容だった。第1回レベルの厳しい内容を官僚は考えていたから、その決断が出来なかった、もっとレベルを下げて検討すれば妥協線が見付かったはずと筆者は言う。
記事を読み私の結論は次のようになった。あくまで後知恵の話だが、菅首相のコロナと経済の両方を追求するという方針が間違っていたのだと、今私は思う。世界の国々で、二兎を追って成功した国は無い。世界に成功例の無い政策に思慮深くチャレンジするのはよい。例え或る確率で失敗しても私は評価する。しかしどうも思慮深くはなかったようだし、過ちを改めるのに逡巡があった。剛腕実行の菅首相にとって「思慮深く」はスタイルではないように見える。非難ではない。人にはスタイルがある。Merkel首相は「夜眠れないほど考え抜いた結論として、やはり国民の皆様にもう一度ロックダウンをお願いしなければならない」とTVで国民に訴えた。
菅首相は怖い人らしく、各大臣も高級官僚も首相に反することは言えないらしいことも読み取れた。指示が徹底することは良いことだが、異論が首相に届かないと危険だ。上記12月1日の首相−都知事会談が不毛だったので、小池知事は作戦を変え、上記のように首都圏4知事が揃って1月2日に政府に出向き、緊急事態宣言を要請した。対応に当たった西村大臣は、予め宣言は駄目と指示されていたらしく、3時間の押し問答中に数回首相に電話したという。「要請が拒否されたと公表する」とでも脅したか。
厚労省など官僚のダラシなさも読み取れてしまった。私ならクビを賭けて上司に意見するけどな。クビになったら食える自信が無いのかな。以上