マタイ伝ルカ伝の話ではない。独立法人化で急に卒業生を大事にし始めた東京大学が11月10日にHome Coming Dayを行い、併せて創立130周年記念式典と3人のNobel賞受賞者による記念講演を開催した。安田講堂は満員となり、同級生の名誉教授は入れなかったという。徳川幕府の洋学学習・研究組織だった天文方→蕃書調所→開成所→東京開成学校から数えれば西洋の大学並みの323年の歴史となるが、大学と名が付いてから130周年だそうだ。東大医学部は、東京医学校から数えて150周年を来年祝う。式典では小宮山総長、池坊文科副大臣、許北京大学学長、佐々木学友会副会長の祝辞があった。池坊保子氏は実に堂々としていた。華族に生まれて池坊家に嫁ぎ創価学会員ではないが公明党比例代表で衆議院4期目だからさすがに慣れているのであろう。許学長は英語で祝辞を述べられた。電気工学科の同級生でNEC会長の佐々木元氏は産学連携の重要性を述べられた。
面白かったのは、Nobel賞受賞順に、江崎玲於奈氏82歳、大江健三郎氏72歳、小柴昌俊氏81歳による記念鼎談であった。3人とも稀代の鬼才だが成績表的には江崎氏は秀才、大江氏と小柴氏は平凡だったらしい。江崎氏は東大理科系の成績表トップ1%から貧乏学生を選んだ杉山金太郎奨学金の大先輩だ。Esaki Diodeの発明後IBM Watson研究所に在籍中の1963年にお会いした際の才気煥発の記憶からすると、お年を召されたと感じた。OHPで用意された講演は素晴らしかったが、鼎談では精彩を欠いた。大江氏は今沖縄戦集団自決に軍隊の強制の有無で、元隊長から著書が訴えられて被告になっており「隊長が命令を出したか否かに拘らず兵士レベルでは強制があった」と抗弁して来た直後の登板であった。3人とも大学で「良い先生に出会えた」と揃って発言されたのが印象的だった。司会は同窓のNHKアナウンサ渡辺あゆみ氏(←黒田←久能木)が務めたが、大学祭の五月祭を「さつきさい」と口走り大江氏に訂正された。駒場の教養学部イギリス科出身だから11月の駒場祭中心で、本郷の五月祭の印象は薄かったか。
1947年に物理を卒業された江崎氏は、終戦ショックで自由放任してくれたことが創造性涵養に良かったと言われた。自分のやりたい仕事をさせてくれる会社を求めて名も無い会社(後に神戸工業→富士通テン)に就職し、同じく名も無い会社(後にSony)に転職したその志の高さに改めて感心した。私などは卒業時に志が低く、大企業に就職し貧しい両親を安心させることを考えていた。江崎氏は日本語では英語と同じ論文が書けなかった経験から、二元論的な西洋の論理的科学的文化と、全体論的感情的な日本文化の違いを認識し、論理的思考訓練にもっと日本人は注力すべきであり、西洋的な「サイエンスの心」が国際活動には必須と説かれた。
大江氏は「街宣車の大音響を聞きながら被告控室で書いた原稿」を手に、英語仏語の力を付けたくて大学に入り、秀才は読まない仏現代文学を読み漁り、研究室に残れる成績ではないと自覚して小説家になる志を立てたと言われた。私の在学中に学内新聞に発表した小説で五月祭賞を受賞されたことを鮮明に覚えている。大江氏12歳の時に教育基本法が出来たのを読み、普遍的価値と個人的価値の並立の理想に感激したが、最近これが変えられてしまったことに怒っていると。世の中が複雑になって専門化は仕方ないが、知識人が交流して視野を広げることが必要と強調された。
小柴氏は、ご自分の悪い成績表を著書に公表しておられ、今のように大学院に試験があったら絶対入れなかったと言われる。最近の学生は成績ばかり気にしているが、それは人間の一面に過ぎず、その対極にある能動的能力こそが人生には必要なのだと言われた。陽子が自然崩壊するという仮説に賭けて数億円も掛けてカミオカンデを作ったが、陽子は崩壊しないことになってNeutrinoに観測対象を切り替えて成功した話は有名だが、今回は、米国で予算10倍、水の容積6倍の大競合Projectが立ち上がりカミオカンデが無意味になりかけた危機に、浜松ホトニクスに高感度の光電子増倍管を開発させて乗り切った成功談を紹介された。外人教授採用や英語授業増加でもっと国際的に開かれた大学になるべきだと警告された。
3賢者の賢者たる所以はまず志の高さにあった!! 野心と熱心だ。以上