9月10日夜のNHK BS-HiVisionは、米国のPeaceful Tomorrowsというグループの活動を伝えた。「蔵出しHiVision」と称した2002年末放送分の再放送だったが、私は初めて見た。2001年9月11日にNew York他で発生した同時多発テロ9.11事件の犠牲者遺族の一部が、遺族の大多数と世論を敵に回しながらAfganistan・Iraq戦争反対の運動を続けた話だった。就任8ヶ月でこの惨事に直面したBush大統領は「犠牲者の死を無駄にしないためにもテロリストを壊滅せねばならぬ」と言い、世論は圧倒的にそれを支持した。それに対してPeaceful Tomorrowsは、「私達が失った親族の名においてAfganistanやIraqの無辜の民を殺戮しないで。テロリストと同じことをすれば報復の報復が続き際限が無くなる。親族の死を悲しむ私達と同じ思いをAfganistan・Iraqの人々にさせないで」と訴えた。しかしその願いも空しく、米国は2001年10月にはAfganistan、放送後の2003年3月にはIraqに対して戦端を開いた。Afganistanでの民間人の犠牲を非難するグループのメンバには「非国民」「非愛国主義者」の非難が集中した。「反対する奴は米国を去れ」「爆弾と一緒にAfganistanに投下すべきだ」などとも言われた。Pentagonで夫を失った未亡人のグループメンバは、2児を抱えて義父の田舎に移転したが、植木に放火されたり子供達がのけ者にされるなどの迫害を受け、止む無く運動からDropoutする。
今なら誰にでも言えそうな正論だが、それを2001-2年に声を大にして言ったグループメンバは偉い。また迫害しつつもそれを言わせた米社会は立派だ。その時期にこの番組を作ったNHKの制作者と、番組をBSなれども放送させたNHKの良識はすごい。仮に私だったら、独り吼えではなく、組織責任者として人生を賭けて決断出来ただろうかと胸に手を当ててみる。
翌9月11日夜、同じNHK BS-HiVisionは、「9.11 New Yorkerたちの5年」という番組を放送した。カメラマンが9.11直後に面接した遺族と一般市民に最近もう一度会った。この5年間に人々は愛国的になり、誰に対しても優しく親切になり、また米国以外の異文化の存在に目覚めたともいう。
米国の男の子はよく"I can beat back."という。殴られたら殴り返せることが両親の期待でもあり男の子の誇りでもある。闘争心旺盛だ。米学生時代の経験では、言葉もままならぬ気の毒な外国人学生である間は米国人の学生から大変親切にされるが、「アレッ、馬鹿にできないぞ」と思われた途端に厳しい競争者としての扱いに変わる。日本流の「みんな仲良く」ではなく、弱者は保護するが強者とは果敢に競い敵は叩きのめす。また米国人はよく「お人よし」と揶揄される。裏の裏まで考える欧州人とは異なり単純明快に物事を考える傾向があって、よく騙されたりする。
また自分の世界観が誰にでも通用すると信じる米国中華思想がある。在日仏人が、欧州からは無いが米国からはよく米国時間で電話が掛かってきて叩き起こされると言っていた。輸入欧州車と違って右ハンドルの輸入米車は見たことがない。牛肉のBSE騒動で、日本人は米国の検査体制は危ないというが、米人に言わせれば3億人の米人が食べて何の問題も無い検査体制以上にイチャモンの条件を付ける国こそ真に怪しからん訳だ。
そういう米人の考え方に立てば、9.11事件は「安らかに眠って下さい。あやまちはくりかえしませんから」ではなく、当然復讐しなければならないし、米軍に楯突く勢力は根絶せねばならぬ。戦争は短期に圧勝出来、素晴らしい米国式民主主義は国民に歓迎されるはずだ。そうはなるまいと見た仏独の方が余程大人である。これは私にすら予見できた。Bush氏が大統領になってから米国・米国民の安全は確実により危うくなった。
2004年の大統領選でBush氏が再選されたことは、残念でも不思議でもあったが、よく見ればBush氏は上記の米人価値観をよく体現している。都会人やインテリ層を除き、田舎町で生活する大多数の米人にとっては、米国の価値観を持ちキリスト教を厚く信仰するBush氏こそ正しい米国のリーダなのだ。仏教ではなく、かって十字軍を送り新大陸を征服したキリスト教でないとAfganistan・Iraq攻撃は出来ない。そういうBush氏を選ぶのが民主主義だ。またやがては軌道修正される所が民主主義の良い所だ。 以上