前日銀総裁白川方明(まさあき)氏のInterview記事が11月3日の朝日新聞の2/3頁を占めた。総裁退任後固く沈黙を守って来た白川氏の見解に興味があり熟読した。白川氏の見解は基本的に総裁時代と同じだった。
Q:インフレ目標について。
A:2012年末総選挙で自民党は、金融緩和による経済活性化を掲げ大勝利した。国民も実験的政策に賭ける気分になったのだろう。(松下:そういう人も居たが選挙に影響する数は居なかった。「デフレと不況を何とかして」という大衆の悲鳴だったろう。)しかし物価と金融システムの安定のために日銀の独立は譲れないので、政府との共同文書には日銀の基本原則は全て書き込んだ。インフレ目標2%が金科玉条にならぬようにした。
Q:黒田東彦(はるひこ)総裁になると、2年間で2%の目標を公言した。
A:日銀は国民に数字的イメージを説明する必要はある。2%とか1%とかの数字が本質ではなく、数字に過度に拘らぬことが肝要。
Q:総裁当時の白川さんは「金融緩和には限界がある」と言い過ぎた。
A:持続性のない道に日銀がはまりこむことを懸念した。
Q:2012年まで日本は本当にデフレだったのか?
A:物価下落をデフレと定義すればデフレだった。しかしそれが低成長の根本原因ではなかった。1人当たりの成長率はG7のトップだった。
Q:多くの人が「デフレが最大の問題」と信じたのはなぜ?
A:国民は「将来への不安」「現状への不満」を「デフレ」という言葉で表現したのだと思う。(松下:デフレは人心を暗くし経済を冷やす。)
Q:本来考えねばならなかった課題は?
A:超高齢化対応と生産性向上。金融緩和は時間を買う政策。一時的経済ショックには効果があるが、そうでない場合は金融緩和だけでは駄目。
Q:なぜ政治はその課題に向き合わないのか?
A:痛みを伴う改革は不人気。だから金融政策が要求され易い。
Q:ではどうしたら良い?
A:専門家が課題をしっかり提示すれば、国民は正しい道を選ぶと信じている。(松下:そんな理解力を選挙レベルで大衆が持つはずがない。)
Q:話変わって、Lehman Shockの教訓は何?
A:「バブルを起こしてはいけない」ということ。危機の前には「物価が安定していれば経済は安定(バブルなど起こらない)」「バブルが崩壊しても金融緩和で低成長は防げる」と言われて来たが誤りと証明された。
Q:Lehman Brothersを救済すれば(松下:米政府は救済せず潰した)あれほど深刻にならなかったか?
A:日銀は山一證券に無制限融資をした。それで日本経済の落ち込みは小さくて済んだが、抜本策が遅れたと批判された。Lehmanを救済せず世界経済は大混乱になった結果、米議会は金融救済法案を可決した。しかし失業率は大幅上昇し、社会分断の一因になった。どうすべきか定石は無い。
Q:危機後に各国が導入した非伝統的金融政策の副作用が目立つ。
A:金利低下は正しかったが、通貨量拡大に私は終始懐疑的だった。
Q:異次元緩和に出口はあるのか?(松下:懸命に批判に誘導した)
A:現政策にコメントはしない。財政赤字の解消こそ真の出口。
仮に経理部長が、無駄な残業が会社の問題だと看破し、担当の総務部長に警告したが労組関係で動きが鈍い。経理部長は経理の部門評価システムに残業評価を取り込んで対策を打ったとしよう。これは越権行為か? 残業管理は経理の職掌にはないから警告だけで充分か? 日銀法では不況対策は日銀の責任ではないから、物価と金融システムの安定だけを厳守すればよいのか? 白川氏は理論派・論理派だから、日銀法を厳守し、日本経済の良し悪しや国民の幸不幸は政府の仕事だとして危ない橋を避けた。
現オリンピック事務局長の武藤敏郎氏が2008年に日銀総裁候補、白川氏は副総裁候補だった。衆院は賛成したが、参院の民主党は財務次官だった武藤氏の経歴を嫌い否決した。民主党の一部は棄権・欠席で造反した。白川氏は総裁代行から総裁になった。民主党左派の責任ですぞ!! 以上