アフリカ大陸南部の観光に9日間のTourを利用した。@Victoria滝と、A喜望峰=Cape of Good Hopeを初めて見ることが主目的だったが、Aは「行ったぞ」というだけで景観的な面白みに欠け、代わりにB2度目のSafariでは沢山の動物が見られたので大満足だった。成田から香港とJohannesburgで2回乗り継いで行った。1998年開港の新しい香港空港は、24時間稼働の広大な空港だった。世界水準の空港は不要という民意で制約が多い成田の倍近い交通量だ。かくして日本は世界から遅れていく。
世界の「三大滝」は、流量の北米Niagara滝(高51m-幅1203m-流量2407t/s)、滝幅の南米Iguazu滝(高82m-幅2700m-流量1746t/s)、落差のVictoria滝(高108m-幅1708m-流量1088t/s)である。Victoria滝は他と比較して地形が観光に適していない面があることを体験で知った。滝を見上げることができない。他の滝では段差地形を水が流れ落ちるのだが、Victoria滝は、ほぼ東西一直線のU字溝地形に、その北側からZambezi川が流れ込む。道路に溢れた水が側溝に流れ込む様に似ている。観光客は滝上部と同じ高さのU字溝の南岸にある東西方向の遊歩道から滝を見ることになり、例え水煙が無くても滝の下部は角度的に見えない。滝を極めて間近に見られる迫力はあるものの、水煙が豪雨のように降り注ぐから暴風雨の中で見学する感じとなる。風向きで水煙が一時的に去った瞬間でないと滝の表情すら見え難い。こういう構造の滝を私は初めて見た。
Victoria滝は現地語でMosi-oa-Tunyaと呼び、「雷鳴の水煙」の意味だそうだ。轟轟と鳴る水音と豪雨の水煙の中で、名の由来に納得した。なおVictoria滝の名は、大英帝国黄金期のVictoria女王に由来する。Scotland人の宣教師・探検家・記者だったLivingstone氏が1855年に欧州人として初めて滝を見て、その名を女王陛下に捧げた。Livingstone島と呼ばれる小島が滝のど真ん中にあって滝のカーテンを二分している。
U字溝の南岸が、滝の東寄りで1か所狭く切れ込んでいて、そこから激流が南に奔出している。その南側には、過去何億年で滝が掘り込んだ峡谷がジグザグ状に連なる。この周辺は熔岩が冷えてできた玄武岩の平らな高原である。冷えた時にできた割れ目が無数にあるという。その割れ目を水流が削って拡げ、U字溝を作り滝を形成した。現在の滝の西端の背後では既に次の割れ目の拡大が始まっていて、次世代の滝が用意されつつある。こういう浸食が繰り返された結果、高原にジグザグの渓谷が刻まれた。
滝の上流は川幅が広く、流れが読めないほどのゆるやかな川面が広がっていて野生動物の天国だ。Zambezi川の支流のChobe川も広い湿地を拡げていて、Chobe国立公園を構成している。一帯をJeepや船で異なる時刻に探訪し、野生動物を見て回るSafariに出掛けた。場所は異なるが2度目の経験だったので、当初は大して期待していなかったのだが、1度目よりも多種類の多数の動物が見られて感動的だった。象・鹿のようなImpala・カバ・水牛・ワニ・キリン・イノシシ・狒々・2mほどのトカゲなどの動物を多数見掛けた。1度目に見たライオンには今回は出会えなかったが、ライオンに食べられて角だけになった水牛は見た。高い枝でカモを引き裂いて食べているワシを見た。青くないKingfisher=カワセミや、黒白のIbis=トキがいた。或る日の夕食は、これら野生動物の肉を注文で焼いてくれる店だったが、あまり美味しいものではなかった。芋虫の唐揚げを食べて、食べたという証明書を貰って来た。愛妻も乗せられて食べた。
2度目に訪れたAfrica南端のCape Town市は、高原状のTable Mountainの北麓(北半球では南麓に相当)に拡がる45万人の近代都市だ。天気に恵まれてTable MountainにRopewayで再訪できた。Cape Townを根拠地に、半島南端の喜望峰を初めて訪れた。単に岩山が海に突き出しているだけだが、その昔欧州の船乗りが希望に燃えてこの岬を周ったのかと、感慨に浸ることができた。15分間貰えれば岩山に登って来たのに残念。
全行程9日間の内、往路に2日、復路に2日、赤道に近いVictoria滝からCape Townまでの移動にほぼ1日、正味4日間の観光は密度の濃い充実したものだった。それにしてもモノズキと言えばモノズキな旅だった。 以上