小豆島には、男女が手をつないで通ると必ず結ばれると言われる「天使の道」「Angel Road」があり、TVドラマにも取り上げられたとか。小豆島西端の土庄町(とのしょう)銀波浦の丘に建つ「天空ホテル海廬(かいろ)」に入り、窓から夕方の干潮の海を眺めると、海岸と直角に島伝いに砂嘴(さし)が数百米伸びている。これがAngel Roadか!! 海育ちの私には魅力的な光景だ。早速ワイフと連れ立ってホテルを出て、丘を下る急な階段で6:20pmに夕暮れの海岸に出た。夕照と競って砂嘴の上を急ぐ。
天童よしみの「珍島物語」は、干潮に島に渡れる砂嘴が現れる韓国西南端の島を歌う。Angel Roadも同様だという。一番海岸に近い弁天島は、多分人手で埋め立てて陸続きになり、埋立地はホテルと駐車場になっていた。「平成20年度NHK元気魂大賞第1位エンジェル・ロード」の垂れ幕があった。弁天島の先に百米ほど砂嘴が伸びて中余島(なか・よしま)に連なる。中余島の先は若干の砂浜を経て小余島がほぼ連なっている。小余島の先に再び百米ほどの砂嘴が延びて大余島(または単に「余島」)に連なる。 弁天島--百米--中余島・小余島--百米--大余島
山育ちのワイフは不安に駆られ、潮が満ちてきたらどうしようという。干満は日に2回、6時間掛けて満潮になるのだから急には変わらないよと安心して貰う。潮の香は少年時代の思い出だ。砂嘴の中央は細かい白砂で、両側は砂利だ。更に海に近い方は大き目の石にアオサが一面に生えている。アサリをバケツに入れた人とすれ違った。中余島の木々に見慣れぬ花かと思ったのはハート型の絵馬だった。ほぼ昼間に1回の干潮時だけに渡れる中余島に、弁財天の絵馬を掲げて愛を誓う趣向だ。中余島の浜辺を過ぎ小余島の浜辺の中頃まで来て、夕食の指定時間にホテルに戻るために引き返した。12.5時間後に同じ潮位になるからと早朝散歩に期待して。
朝食の指定時間の前にたっぷり時間を取りたかったので、夜が白み始めた5:30amに独りでホテルを出た。昨夜よりまだ砂嘴がずっと狭いが、中余島までは問題なく歩けた。中余島の浜辺はほぼ水没していたが、岩を伝って行けた。小余島に取り掛かろうとしてハッとした。昨夜通った小余島の西側の浜辺が水没しているのは覚悟の上だが、岩壁が或る1箇所で垂直になっていて足を濡らさぬ限り通れない。稲村ガ崎の新田義貞の心境だ。
波がより激しい小余島の東側を見ると、浜が無いのは同じだが、岩の形から見て通れそうだと判断した。岩から岩にピョンピョンと跳ぶようにして行く。あと少しで小余島は終わりという所でハタと足が止まった。飛び石状の岩が途切れてしまったのだ。一方の靴を脱いで水中の岩に足を置きその足をハンカチで拭いて靴を履くとか、諦めて引き返すとか、岩に登って難所をまくとか、色々思考実験を重ね、結局岩に登ることにした。崩れやすい砂岩を短靴で上り、難所を越えてから下りようとしたが、足場があと1箇所不足で、どうしても下りられない。再びしばし思考実験の結果、もう一段岩を登り遠くに下りることで解決した。指に血が滲んでいた。
最後の砂嘴を渡って大余島に到着したら看板があった。「立入禁止。この島は神戸YMCAの野外研修施設」。YMCAが島を買い取ったと後で聞いた。幾つかの建物があり電灯が点っている。研修者は波止場から船で出入りしているようだ。浜辺を歩くだけなら咎められまいと波打ち際を行く。カラスがシュロ並木で鳴き、トビが上空を旋回して歌う。透明な波がホンダワラを揺らして静かに浜に寄せる。私には懐かしい瀬戸内海風景だ。
1人だけの足跡を逆行して帰路についた時、1人の男性観光客が向こうからやって来た。重そうな体格だったので意外に思い、小余島のどちら側を通ったのか尋ねると、私と同じ東側からだという。「足を濡らしたでしょう」というから、「いえ、岩場の上をまきました」と答えた。往路と同じ足場を思い出しながら岩場を登って難所を通過し、振り向くと男性は打ち寄せる波のタイミングを見計って波打ち際の岩に一歩を預けて渡ろうとした。しかしやはり無理でスニーカの足首まで波に洗われてしまった。
往復の20-30分の差で潮位は10cmも違っていた。足だけでなく頭と全身を使った爽快感あふれる心地よい朝食前の散歩だった。 以上