今朝日新聞がおかしい。読売新聞に乗り換えるかも知れない。
我が家は親の代から百年近く朝日新聞を購読している。記憶には無いが或る写真が残っている。日米開戦の大見出が躍る朝日新聞を5歳半の私が縁側で読んでいるかのポーズだ。海軍省の総務系文官だった父は、我が子の人生に大きな影響を与えるに違いない出来事を、London事務所勤務時に購入し当時珍しかった独製カメラMakinaでこういう形で記録したのだ。
山口県立光高校で私は新聞部(と弁論部と陸上部)に所属した。高校新聞全国一に輝いた伝統ある新聞部の厳しい先輩は「朝日新聞に学べ」と我々をしつけた。「素晴らしい講演があった」という記事を書いて持って行くと「記事に主観は厳禁だ」と叱られた。「3年男子Aさんが「素晴らしかった」と感想を述べた」と書いたら通ったが、どこが素晴らしかったのかもう一度理由を聞いて来て10字以内で追加しろと言われた。
New York Timesなどに比べて、或いはUSA Todayと比べてさえ、日本の新聞の科学記事は弱い。終身雇用制の影響だ。大きなニュースの時は私は日本の新聞では欲求不満になり、New York Timesなどを参照して判った気になる。しかし日本の新聞の中では朝日新聞はまだましな方だ。
朝日新聞綱領は「真実を公正敏速に不偏不党で報道する」と謳う。長年私は朝日新聞を信じて来た。朝日新聞は左翼だという人も居たが、社説や記名コラム記事を別として記事は公平公正に書かれていたからだ。
ここ1-2年ではないか。朝日新聞が変わって来た。記事と記事の見出で左翼的主張をし始めた。新聞が主張するのはよいし当然だが、それは社説や記名コラム記事でやれ、記事は公平無比で行くべし、朝日新聞を見習え、と私は教わった。その朝日新聞が記事で主張し始めたのだ。集団的自衛権反対、原発反対、秘密情報保護法反対などは非常に露骨だった。
私は読売新聞に乗り換えることも視野に3ヶ月契約で読売新聞を併読することにした。また朝日新聞の編集担当取締役に手紙を書き、一購読者だが、朝日新聞の変質に耐えきれず読売新聞と併読し3ヶ月後に「真実を公正敏速に不偏不党で報道する」方に決めると書いた。思いがけず自筆と思われるご返事を便箋1枚で頂いた。但し儀礼的なもので内容は無かった。
例えば7月2日、政府が集団的自衛権を閣議決定した翌日の朝日新聞朝刊13版1面は「9条崩す解釈改憲」という大見出で、「憲法の柱である平和主義を根本から覆す解釈改憲を行った」と主張した。憲法に背く解釈は昔はあったが今回は違うのに。当日の読売新聞の同一サイズの大見出は「集団的自衛権 限定容認」「安保政策を転換」で、客観的な事実を報道した。
そもそも憲法には集団的自衛権云々という条文は無いからどう解釈しようと改憲にはならぬ。第9条にあるのは@戦争の放棄、A戦力の不保持、B交戦権の否認だ。だから1950年朝鮮戦争勃発でGHQ指令で創設された警察予備隊および1954年創設の自衛隊は立派な「解釈改憲」だ。AとBを犯している。国民の意識と国益が矛盾して憲法改正が出来ないので、仕方なく解釈改憲で逃げた訳だ。集団的自衛権は枝葉末節で改憲に値しない。
誰も言わないが、集団的自衛権行使は米国の要請だ。日本が攻撃されたら米国が助ける義務があるが、米国が攻撃されても日本は助けられない、という現状を何とかしろということだ。「いや無条件で助けることは世論から見て出来ませんが、せめて日本の国益に関係する場合には助けられるようにしましょう」という落とし所が本質だ。極めて妥当な線だ。
原発も世論と国益が乖離している。再び原発事故が起こって国民生活が脅かされる確率よりも、財政破綻で脅かされる確率の方が何桁も高いと私は確信している。なりふり構わず経済を振興しなければならぬ時に、感情的な原発反対は愚かだ。秘密保護法反対はほぼヒステリーの領域だ。
それでもそういう反対意見はあってよい。新聞がそれを主張したいなら社説やコラム記事で主張すれば良い。記事で主張するのは報道機関として最低だ。勘ぐれば朝日新聞は、必ずしも崇高な使命感ではなく、商業的思惑で路線変更したのかも知れない。どうしようかな。読売新聞に切り替えようかな。赤旗新聞だと割り切って1世紀の伝統を維持しようかな。以上