隣人の奥様を誘って我々夫婦と3人で、車で今年最後の八ヶ岳の秋を満喫した。中央自動車道の長坂ICから清里高原道路を上ると、川俣川の深い谷を渡る清里高原大橋、別名「黄色い橋」を渡る。高さ最大104m全長500mの橋は標高1100mほどの所にあって紅葉の名所だ。下流側の800m位から上流側は2000m近い山腹の樹木まで見晴らせるから、紅葉が下ってくる過程が見える。八ヶ岳は、上から雪の白、岩山の灰色、這松などの灰緑、落葉した唐松の灰茶、黄葉した唐松の黄金色、まだ緑の木々が色彩の6層を成す。今は1100〜1300mの唐松の黄葉が盛んな季節だ。南方向のモヤがかかった白い空を心眼を以て凝視すれば、微かに富士山の陰影が見えた。
近年寂びれ気味の清里の町を往復してから清泉寮に行った。こちらは元気で奥の方で高いクレーンが大きな新建屋を建設中だった。古き良き時代の玄関を入り雰囲気を懐かしむ。もう一つの紅葉の名所である「赤い橋」東沢大橋はもう紅葉には遅すぎた。「黄色い橋」の上流で川は東沢と西沢に分かれるが、「赤い橋」は東沢の1450mに掛かる。広葉樹の紅葉の名所だから既に枯れ木になっていた。東沢と西沢の間の三角地帯には「まきば公園」がある。山梨県営八ヶ岳牧場の一部を公開して野菜売場などの店舗を設け、子供達が動物に触れられる公園仕立にした観光施設だ。唐松の黄葉の海の向こうに飯盛山や富士山を見晴るかす展望の場所だ。東天に彗星や流星群が出現した時には東側が大きく開けるこの場所が一等席だ。
西沢を越えて1330mまで下り、俳優柳生博氏が拓いて長男真吾氏に譲った八ヶ岳倶楽部でパスタランチをとった。建物周囲の十本ほどの楓がここではまだ赤く燃えて真っ盛りだ。既に枯れ木状態の白樺がひときわ白く、濃紺にも見える快晴の空との対照が見事だ。博氏は著書を購入した女性のサイン希望に応えた後、鎌を振るって枯れた雑草を刈り込んでいた。
八ヶ岳横断道路(鉢巻道路)の両側は唐松の黄葉のトンネルだ。道路は東麓を南西に進んで八ヶ岳南端で1150mまで下り、北方にカーブして西麓をまた上っていく。南端から少し進んだ所で山梨県から長野県に入る。その長野県の仕業なのだが、道路の両側の唐松林を数十米幅で伐採し、あとに桜と楓の苗を植えた。どちらも紅葉してはいるが、苗木だから迫力は無い。私共の好みで言えば唐松林の方がよほど趣があると思うのだが、若い世代は鬱蒼とした森のトンネルよりも青空と陽光を好むらしい。
蓼科三井の森まで足を伸ばした。標高1100mの竜神池には唐松の黄葉が映り、その先に八ヶ岳の最高峰2899mの赤岳が見えた。広葉樹の落葉を踏んで池の周りを歩く。昔武田信玄に樽で温泉を運んだという「湯みち街道」の急坂を上り、1530mの御射鹿(みしゃか)池まで上った。新しく立てられた案内板を見ると、東山魁夷画伯の名画「緑響く」はこの池の緑を描いたのだと書いてあった。今は唐松の黄金色で彩られているが、新緑の季節に対岸に白馬を描けば確かに「緑響く」の構図となる。この絵が好きで複製画を自宅に掲げている。この池も好きでしばしば訪れてきたが、両者が関係しているとは知らなかった。北側を流れる渋川を渡って国道299号線を少し下ると紅葉の名所横谷観音がある。しかし1670mだから、今年特に見事だった楓は既に落葉していて淋しい。散り掛かる唐松の黄葉の山なみを鑑賞し、渋川の王滝を覗き込んだ。国道を西に下り、1100mで渋川を渡る近年できた新しい橋で思わず息を呑んだ。橋の下から山肌に掛けて唐松が夕日を受けて黄金一色に輝いていた。今日一番の秋景色だ。
翌日は茅野市の1000mにある長円寺を訪れた。日露戦争戦勝記念に京都から取り寄せた楓が何十本か真っ赤に紅葉している。東京の電車内で、長野県の紅葉に誘う中吊広告の風景に見覚えがあった。茅野市とあったから多分そうだとは思ったが、長円寺という名は忘れていた。「長圓寺」と彫り込んだ石柱で確認した。ここの紅葉が長野県を代表したことに驚く。
地方紙で見た「もみじ祭」を開催中の、岡谷ICに近い出早雄小萩(いずはやおこはぎ)神社を訪れた。鄙びた境内は、カタクリの群生で有名な場所だが、今は欅の巨木の黄葉と楓の紅葉の組合せが美しかった。 八ヶ岳の秋を満喫し満ち足りた気分で岡谷ICから帰路についた。 以上