53年前に1年間在学し修士を得た米Illinois大ECE=Department of Electrical & Computer Engineering=電気・コンピュ−タ工学科から、Distinguished Alumus Award=殊勲卒業生賞を授与するから来いと言われ、Chicagoから夫婦で地方航路に乗り換え9月10-11日受賞して来た。
最初「そんな馬鹿な」と1ヶ月余固辞し続けたが、学科長と学部長から再考要請が来るに至り、(1)余り迷惑を掛けても悪いし、(2)選んだのは俺の責任じゃないと、腹を括って恥ずかしながら急遽受けることにした。(a)過去45年間に205人(約1%。日本人名は同学科PhDの2名)+今年5名と複数名受賞であることと、(b)一学科の表彰であることと、(c)学科名に在学中には無かったComputerがあること、が少し私の気を楽にした。
問題は英語だ。個別対話や受賞挨拶くらいは何とでもなるが、300名の学生・教職員からの質問主体のPanel Discussionをするという。会場からの質問は聞き取り難いから、そういう質問は司会者が復唱して欲しい、ついでに話題の範囲もemailで尋ねたいから、司会予定者を紹介して欲しい、と頼んだら、同窓会長がemailではなくBostonから電話を呉れた。多分神経質に頼んだ私の英語が心配になり電話でテストしたのだと思う。
心配の甲斐あってPanelでは活躍できた。同窓会長が私が聞き取れなかった時に限って極く自然に「あなたのご質問はこういうことですね」と復唱して呉れたし、また学生の質問が「困難遭遇時の対処法」「企業から見た大学教育の意味」「人生に後悔ありや」とか比較的人生経験の長さが生きるテーマだったからだ。「企業の求める人材」を問われて「知り合いの米人はユーモアに富む人を採る。ユーモアがある人は困難に強いからだそうだ。ユーモアの天分が無い人はゆとりでも代用可」と答えたのは大真面目だったが、なぜか2度も爆笑を得た。以来「ユーモアのShig」と呼ばれるようになった。これは心外で自慢じゃないが私はユーモアの天分は乏しい方だ。ただだからこそどう言えば笑いがとれるかは懸命に努力する。
96歳を先頭に過去の受賞者数名が加わった百名ほどの晩餐会で受けたプレートには、"For contribution to the technological foundations of digital industries and leadership, including the development of relations between the U.S. and Japan."と書いてあった。乏しい経歴の中からよくも拾い出してくれた。「ユーモアのShig」と紹介されて受賞挨拶に立った時には本当に困って「My humor has run out.」と言ったらまた笑ってくれた。「老化防止薬開発中」という冗談の直後だったので、「私がその薬を一番欲している最高齢受賞者」と自己紹介した。その後に96歳が紹介されたので、皆に聞こえるように「I am encouraged!」と独り言を言ったら司会が絶妙の学科長が「Yes, you have a long way to go.」と応じた。役員が「Shigを選んでHitだった」と言ったと間接的に聞き、"Distinguished"の意味を疑いつつ、マグレ当たりが生涯一度のランニングホームランになった中学時代以来のマグレを喜び且つ楽しんだ。
愛妻Sueは、外人の中で洋服では体格で負けるからと、和服2着を2日に使い分けて外務大臣を務めてくれた。触発されて印度系米人受賞者の奥様は2日目はSariで来られた。気遣いが凄い学科長は晩餐会で壇上から「ShigとSueがはるばる東京から来てくれた」と愛妻の名を挙げた。
なぜ私が選ばれたのか不可思議で固辞したのだが分かってきた。昇進で延びる定年だがいずれ追い付かれるのが怖くて米企業に転職し、折からのITバブルでアブク銭を掴んだ際、若き日の留学を全額支援してくれた米国への報恩の寄付をした。引退後も少額の寄付を数件した。それで大学は私を成功者と勘違いし、昔から大学要人が来日の度に面会を要請された。日米両方を私はある程度知っており英語も通じるから会えば面白いらしく、また別の人が会いに来る。そういう某氏が同窓会の賞選定委員会に私を推薦したという。委員会がWebで私の経歴を調べれば英語でソコソコは書いてあるから、国際時代でもあり良かろうということになったらしい。
受賞挨拶の最後で私は「今までより良い卒業生になります。」と誓ってしまった。日本同窓会の副会長が聞いて居られたのに。 以上