6/末にPolandとBalt3国つまり南からLithania=リトアニア、Latvia、Estoniaを初めて、「JTB旅物語」のバスで700km北上し、歴史を学んだ。人口はPolandが38M人(M=百万)。Balt3国は上記の順に 3.2M、2.0M、1.3Mの小国だが、夫々独自の言語と文化を持つ。Poland語は印欧語族スラブ語派、Lithuania語とLatvia語は印欧語族のバルト語派、Estoniaは数十kmの海峡を隔ててFinlandだから共にウラル語族フィン・ウゴル語派だ。
FinnAirでHelsinkiに飛び、乗り換えてWarsawに入った。飛行機から見るとこの4ヶ国はほぼまっ平らで、戦車を並べられたら簡単に侵略されそうだ。Polandの語源Poleは「平ら」だ。実際4ヶ国とも強国に囲まれて次々に侵略され支配された歴史を持ち、歴史だけでなく現国民がまざまざと記憶する戦いからやっと独立を獲得した国だ。集団的自衛権云々が大問題になっている日本の現状を話せば、驚くかせせら笑うに違いない。
Polandは10世紀には大国だった。独騎士団が13世紀にBalt海沿岸を植民地化し、南Polandはモンゴル帝国に占領された。14世紀にLithuaniaの王とPolandの女王が結婚して、Poland-Lithuania連合王国となり、Balt海から黒海にまたがる大国として栄えた。文化が進んでいたPolandが連合王国を仕切るようになり、ほぼ全体がPolandとなった。
しかし18世紀末には、プロイセン、オーストリア、露によって分割されPolandは無くなった。第1次大戦後1918年にPoland共和国が独立したが、1939年の独ソ不可侵条約(独が破って返り討ちに)の付属秘密協定で独ソ(と一部SlovakiaとLithuania)で分割された。第2次世界大戦後の1945年にソ連は占領下のPolandの一部を併合する代わりに、独の一部をPolandに与えた。このため、Polandは西側に大きくシフトした。例えれば北朝鮮をソ連に編入する代わりに九州を朝鮮に与えるようなものだった。ソ連崩壊の1989年に共産党独裁国から民主国家になり、民主化運動を率いた造船所労組連合のWalesa氏が大統領に選出されたことは記憶に新しい。
LithuaniaおよびPoland-Lithuania連合王国も、かって大国だったが、Lithuaniaは18世紀末に露に、19世紀初頭にNapoleonに、20世紀初めの第1次世界大戦では独に占領された。戦後処理の外交戦に破れて首都VilniusはPolandに取られてしまう。1939年独ソ秘密協定でソ連に占領され、第2次世界大戦中に一時独に占領さた。戦後Vilniusを含めてソ連の一部となった。再び独立したのはソ連崩壊後の1990年である。
Latviaは13世紀に建国されたが、16世紀にPoland-Lithuania連合王国の一部に組み入れられた。17世紀にSwedenが、18世紀に露が占領した。日露戦争ではBaltic艦隊が露領だった今のLatviaの首都Rigaから日本に向けて出立した。第1次世界大戦中は独に占領され、戦後1918年に独立したが、第2次世界大戦以降の経緯はLithuaniaとほぼ同じで、ソ連、独、ソ連、に占領され、ソ連から1991年に独立した。
Estoniaは、13-14世紀に独騎士団とDenmarkに交互に占領され、独貴族と現地人の農奴という関係になった。16世紀には、SwedenとPoland-Lithuania連合王国によって分割されてしまう。18世紀には露が占領した。第1次世界大戦以降はLatviaとほぼ同じで、1918年に独立したが、第2次世界大戦でソ連、独、ソ連に占領され、1991年に再度独立した。
こういう歴史だから4ヶ国とも自国文化を守ることに熱心だ。Hitlerは、Polandは分割したから首都は不要とし、Warsawをダイナマイトと火炎放射器で徹底的に破壊した。Balt3国も幾度もの戦禍で文化遺産も市街地も破壊されたが、1990年代以降再建が進められた。今では4ヶ国の首都の城壁に囲まれた旧市街は見事に中世の風情を取り戻し、全てUNESCO世界遺産になった。ソ連時代の宗教弾圧で寂れていた教会群も美しく再興され、観光スポットとして賑わっている。ソ連時代は交通機関、教育、医療が全て無料だったが、言論の自由は無かった。独立後は経済発展したが、無料ではなくなり物価も高騰した。しかし残留ロシア人を含めて4ヶ国は自由を謳歌しているように見えた。市街地の外には地平線まで拡がる広大な農地、森、湖があった。そこに再建された中世の城が点在する。 以上