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短編随筆シリーズ「うつせみ」より代表作 Photos of flowers, butterflies, stars, trips etc. '96電子出版の句集・業務記録

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うつせみ
2009年12月19日        Transistor発明はShockleyでなくBardeen

 ICなど半導体素子の構成要素Transistorの発明者の名を言える人は少ない。しかし言える人の多くはBell研でShockleyが発明したと言うだろう。Transistorの発明に対して1956年のNobel物理学賞はWilliam Shockley, John Bardeen, Walter Brattainの3名に与えられた。1947年の発明以来Bell研は公式にこの3人をこの順番で発明者として公表しているから、3名の名を全部覚えられなくても「Shockley他」と記憶する人は多い。

 本当は理論物理学者Bardeenと実験物理学者Brattainの相互協力で1947年に最初のTransistorが完成した。2人の名で論文発表・特許出願がされたにも拘わらず2人の上司であるShockleyが、2人の発明を見て急に秘密裏に自室と自宅でTransistor開発を進めたが失敗し、特許の連名を試みて特許部に拒否され、組織長として発明発表を仕切り、無理やり発明の栄誉のトップに躍り出たことはあまり知られていない。2人を別棟に置き去りにして主研究テーマから遠ざけ、1951年にShockleyはJunction Transistorを発明し論文発表と特許出願をした。しかし部下の離反が上司にバレて昇進が止まったShockleyは、1955年にBell研を辞めてCaliforniaに半導体研究所を設立したが、Shockleyが「8人の裏切者」と呼んだ主力8名が造反退社して世界初のベンチャ企業を設立し、後のIntelにつながった。研究所破綻後ShockleyはStanford大教授になり、黒人低能論で顰蹙を買った。

 干されて悶々としたBardeenは1951年にBell研を辞めてIllinois大に移り、昔から手掛けて果たせなかった超伝導(超低温で電気抵抗がゼロ)の理論を1957年に完成し、若者2人Leon Cooper, John Schrieffer と共に再度1972年のNobel物理学賞を受けた。2つもNobel賞を受けた人はなく、雑誌Lifeは「20世紀で最も影響を与えた米人100名」に数えた。超伝導だけでなく物性全般に関わるこの理論は、SchriefferがNew Yorkの地下鉄の中で閃き書きとめた波動方程式を基に、3人で分担し半年かけて計算し練り上げた。Bardeenはその道ではEinsteinにも劣らぬ評価の人だが、一般にはあまり知られていない。Einsteinの1921年Nobel物理学賞は相対性理論ではなく、副次的な光電理論に対してだった。革新的な相対性理論が万一ウソだったらNobel賞の恥曝しと委員会が恐れたのだ。Einsteinが一般人に有名なのは、物理学よりもSFが盛んに相対性理論を取り上げたからだろう。世の中への影響はTransistorの方が大きいが、SFにはなり難い。

 私がIllinois大に留学した1962−63年に「2つ目のNobel賞候補」の噂を負ったBardeen教授をよく構内で仰ぎ見た。また教授の愛弟子の半導体物理を受講し"A"を貰った。教授自身の授業は小声で黒板の字は薄く、付いていくのは大変との噂だった。しかし天才には珍しく常識人平凡人で親切なので、相談に訪れる人が絶えなかったという。私と同じ電気工学科に一足早く留学中だった某先輩は、或る学内発表の機会に突然Bardeen教授が聴衆席に現れ教授の研究室に誘われて物理に転向され、世界的な理論物理学者として成功された。電気の教授からBardeen教授に紹介があったに違いない。最近先輩からのBardeen教授の思い出のメルマガを読んで懐かしくなり、教授の公私の資料を徹底的に集めて書かれた一生記を読んだ。

 The True Genius, Lillian Hoddeson, Joseph Henry Press, 2001

Wisconsin大医学部教授の家に生まれ、数学に滅法強い子供だった頃から、1991年83歳で亡くなるまでを詳述し、真の天才とは何かと問う。

 Bardeen教授はNobel賞委員会に、江崎玲於奈氏ら3名をトンネル効果の業績で表彰するよう推薦した。推薦通り3名は1973年にNobel物理学賞を受賞したが、トンネル効果理論の前提となった超伝導理論を表彰しないのは片手落ちということで、その前年1972年に上記のように超伝導が受賞した。Bardeen教授の巧妙な手だったという説がある。超伝導理論はNobel賞に値するけれども、前例の無い2つ目のNobel賞を自分に与えることに委員会が逡巡し、結果的に若者2人が受賞を逃す事態を怖れていたという。

 教授は1976年に引退して名誉教授となってからも毎日出勤して研究に没頭し、1990年まで盛んに論文を発表した。しかし晩年の論文は学界の流れに反して孤立し、若い一部の嘲笑を浴びたという悲しい記録もある。以上