この度ばかりはわが身をすっかり棚に上げないと話が進まない。
5月1日号のAERAは、お堅い週刊誌としては珍しく「東大生の6割が美人は真実か」という記事を掲げ、アルバイトはモデルというKi嬢、2005年ミスキャンパスのKa嬢、CMに出演のO嬢の写真を実名で載せ、またその他匿名の美人東大生数名のインタビューを掲載している。共通しているのは(1)家庭環境に恵まれ、(2)才能にも恵まれ、(3)従って入試にあまり苦労せずすんなり入学し、(4)何事にも強い好奇心でのめりこむ点だ。
記事では学歴と容姿は比例するとして次のデータが示されている。首都圏600名の妙齢の女性に「自分の容姿に自信があるか」と質問し「あり」と答えたのは、中高卒が18.2%、専門学校(短大も?)卒で23.6%、大学・大学院卒で25.5%だったそうだ。いやなに、学歴と容姿ではなく自信が比例しているだけなのか。東大を継続取材しているコラムニスト辛酸なめ子氏のコラム記事では、10年前には彼女の評価で女子東大生の2-3割が可愛くて後はモッサリだったのが、最近は6割が可愛くてモッサリは4割になったという。何だ、辛酸氏の主観的コメントだけで冒頭の表題はないだろう!! しかし彼女によれば、有能で高収入の父親が美人の母親と結婚して美形の娘が出来ると東大に入り易いそうだ。先頃久しぶりに東大駒場の構内を一巡した私の目にも、女子学生の美人度向上は隔世の感があった。
私が学生だった昭和30年代前半を昔と表現させて貰うと、出身校がモノをいう時代ではなくなり、しかも大学の多様化、価値観の多様化で、昔より東大の相対的価値は低くなっているかも知れない。また昔より入試倍率は低くなっているようだ。それは世の中がより正常化された訳で良いことだ。だが受験時代の私は、入試倍率3倍以上は何倍でも難しさは同じだと信じていた。とすればスイスイと東大入試を突破した冒頭の美女達の知性は高く評価しなければなるまい。知性と容姿は正の相関があると思うから、容易に東大に合格する女の子に美人が多くてもおかしくはない。
ところで私はCleopatra不美人説を信じている。絶世の美人説は後世の創作で、特にElizabeth TaylorとHollywoodに責任があるという。大英博物館でCleopatraの石の胸像を見た瞬間から私は美形説に疑問を持った。ではなぜCaisarを惑わしAntonyを魅惑することができたのか? それは彼女の知性が極めて魅力的だったからだろうと歴史学者はいう。冒頭の3美女は写真で見る限り間違いなく美形だが、辛酸なめ子氏のいう6割を正当化するには、恐らくCleopatra効果も援用しなければなるまい。
AERAの表題を見てワイフは「時代が変わったのね」とコメントした。昔は確かに東大と美人は無関係と言う常識があった。男子と女子を足して2で割ったような女子学生しか居なかった。三昔前に東大電気工学科を卒業して東芝の重電工場に入社したX嬢は、制服の作業服とヘルメットで工場の現場で胡坐をかき、親分肌の指揮をとった。いや例外を思い出した。電気工学科主任教授の娘さんは私より大分年上だったが、東大2年での学内進学で彼女が進学希望した東洋史がその年だけ異常に志願者が増え、進学可能成績点が急に跳ね上がったという伝説の美人だった。しかしそんな話は全くの例外で、男子学生は概ね女子大に憧れたものだ。特に赤いSの字を二つ十字に重ねた校章には絶大の人気があった。
時代がどう変わったのか? 加藤登紀子が変化の兆しだったのかも知れない。それに高田万由子、菊川怜と続く。並べては申し訳ないがかってのミスキャンパスの面影がある片山さつき衆議院議員も有名だ。彼女らは昔なら決して東大に入らなかったと思う。古い川柳に「女子大を満足に出る売れ残り」というのがあった。女性の幸せは結婚次第と、結婚への備えを最優先する時代には、娘が東大を受験すると言ったら両親は必死に止めたはずだ。昭和30年代でもその風潮は確かにあった。今でも女子東大生は男子東大生にしかモテないらしい。男女平等が普及し、強い女性をよしとする男性が増加し、結婚を最重要とはしない女性が増え、女性でも自分の人生は自分で切り拓くのが当然と考えられるようになったことが、美人東大生増加の背景にあるとしたら、何と喜ばしいことではないか。 以上