侘び寂びの椿の季節だ。花期が長い上に品種によって花期が異なるので年末から春まで長期間楽しめる。椿を市の花とする伊東市小室山の山麓にある1000種4000本を豪語する椿園を最近訪れた。「城ケ崎紅(べに)」という原種に近い品種の地名と楚々とした姿に改めて感動し、Webを漁ったら私自身が2002年に椿を概観した「うつせみ 椿」が出てきた。
http://club.pep.ne.jp/~shigmats.1/utusback/camelia.htm
なお以下に言及する椿の花の形状を、次のURLに写真で示した。
http://www.geocities.jp/shigmatsybb/
椿は交配種を作り易く、実生で(種から)育つので突然変異が起こりやすく、真に多種多様だ。1万種という人も居るが2千種という話が本当らしい。勿論何を数えるかが問題で、上記の1000種の椿園でも名札の数は百数十種ほどだった。同じ名札でも花の色や葉の形が異なり合計1000種なのだ。品種の系統図・系統樹がないかと書籍とWebを探したが見つからなかった。あまりにも多種多様で歴史が古いから分からなくなっているのかも知れない。DNAで系統図を作ると博士論文になるのではないか。
しかし一番の原種は、伊豆大島の名物であり、日本中で見られる野生種のヤブツバキ=camellia japonicaだ。日本・韓国・中国などに分布しているが、日本のものが西洋に紹介された故の学術名だ。ツバキと言われて誰でも頭に描く赤い花弁と黄色い雄しべが特徴的な花だ。花弁は5枚あり、夫々が90度乃至180度の円周角を持ち、重なって「ちょこ」の形に開く。雄しべは円筒状だ。先端の花粉が鮮やかな黄色で、根元までの花糸は真っ白だ。雄しべの中央から雌しべが飛び出し、先端が三叉に分かれている。だから実は殻の中に3つできる。花糸の根元側半分ほどは互いにくっついて(合着して)いて、それに花弁の根元も合着している。つまり花全体が根元で一体化しているため、花弁が個々に散ることは出来ず、花全体がポトンと落ちる。因みにツバキ科のサザンカは花弁が個々に散る。
ヤブツバキが豪雪地に適応した品種が、小林幸子の歌で有名な新潟県の県木ユキツバキだ。新潟県を中心に日本海側の山地に分布し、海岸沿いのヤブツバキと住み分けている。ヤブツバキが背丈を稼ぐのに対して、ユキツバキは高さは1〜2mで潅木状に横に広がり、冬は豪雪に埋まって春を待つ。ユキツバキの花はヤブツバキに似ているが、花弁が180度に開くことと、花糸が黄色で、ヤブツバキとは異なり根元の方まで裂けているため雄しべが円筒形よりも開くのが特徴だが、やはり花全体が落ちる。ユキツバキの突然変異に八重咲き、あるいはもっと花弁の多い千重(ちえ)咲きがあり、花弁の多い園芸種を開発する上での原種になっている。
ユキツバキから生まれた江戸時代からの園芸種に乙女椿がある。ユキツバキとは似ても似つかぬ花で、無数のピンク(白も)の花弁が供え餅型に千重咲きとなる。何故「乙女」かというと実が生らないからだ。千重咲きが進んだ結果、中央にあるべき雄しべ雌しべが退化して無い。
雄しべ雌しべが花弁化した園芸品種は「唐子」と呼ばれる。清朝の童子の髪型のように半球形を成すからだ。紅一色なら紅唐子、その一種に日光(じっこう)があり、紅い花弁に白い唐子の月光(がっこう)や卜伴(ぼくはん)がある。紅一色の卜伴錦や白一色の白卜伴もある。
安土桃山時代から茶人に愛されたのが侘助だ。教会の鐘の形にしか開かない小さな花がつつましさと侘びを感じさせ、一輪挿しに似合う椿だ。織田信長の弟で茶人の織田有楽斎長益の屋敷があったから有楽町だが、彼が愛した有楽椿はヤブツバキと中国種との交配種だという。それから今侘助の一種とされるピンクの太郎冠者が生まれ、それを祖先として発達した一群の品種が広く侘助と呼ばれる。赤侘助から白侘助まで数十種ある。
16世紀に椿が西洋に伝えられ、侘び寂びの椿は薔薇のように派手に改良された。その典型を上記椿園で見かけた。Tiffanyは大柄のピンクの八重咲きで、内側の花弁がフリルのように波打っている。Tiffany Corporate Colorの補色だ。同じ色の乙女椿と比べると彼我の差が対照的だ。
椿はなかなか奥が深い。愛好者のWeb頁に写真が無数にある。 以上