秩父三十四観音を結願した。10/中〜11/初に密度高く0.5+0.7+3日(小数は和銅探訪)で回った。三十四なのは、西国三十三と坂東三十三と併せて百観音参りになるように調整したからだ。坂東と秩父とを終わり巡礼の何たるかが幾らか判った気がするので、巡礼はもうこれで卒業とする。
秩父盆地に散在する三十四ヶ所はほとんど歩いて回れるから、自らルールを課した。鉄道と徒歩だけで回る。バスは稀にしか来ないから最初からあてにしない。1日の始点または終点が駅から2km以上離れていたらタクシーを使う。但し最後の31番〜34番札所は、どの駅からも遠くまた相互に離れているので、レンタカーの小型車で回った。タクシーは高い。マイカーも考えたが1車線の狭い道で幅広い独車で立ち往生したくなかった。
巡礼者は寺毎に納経帳に朱印を貰う。元々は写経を読み上げて寺に納めるのが納経で、納経した証に寺の納経所で納経帳に朱印と本尊名、寺号、日付を書いて貰う。現在は私を含めて略式の人が増え、寺には「観光スタンプではありません」と目に余る巡礼者への怒りが掲示されている。
11番札所常楽寺の納経所は閉まっていて「12時から1時は休憩時間」と書いてあった。幸い1時10分前だったので待った。「芝桜の状態を尋ねないで下さい。納経所のお勤めで見に行けません」と恨み節も掲示されていた。秩父名所の芝桜で有名な羊山公園が近い。今は咲いてなくても場所を見ておきたいと思って公園に入ったのが誤算だった。細長い公園の一番奥だったので、往復1時間を失った。芝桜は毎年植えるのだそうで、今は土色の丘が広がっていた。帰路に武甲山資料館を覗いて見た。石灰岩を切り出す前の美しい山容の写真など地質学的な展示が興味深かった。
14番札所今宮坊は昔は広大な今宮神社の一部だったようだ。今宮神社は武甲山の伏流水がこんこんと噴出する場所にあった。「飲めますか?」と尋ねたら、煮沸した湯冷ましが社務所にあると言われた。千年欅と呼ばれる見たこともない欅の巨樹があり、境内一杯に枝を拡げていた。
20番札所岩之上堂は、荒川左岸(北岸)を成す岩壁の上にある。荒川が運送業や漁業でもっと大事だった時代には、川に船を止めてお参りする人が多かったのではなかろうか。岩壁から清水が浸み出して窪みにポタポタと落ちる。この霊水を飲むと乳の出が良くなると言われ、それで命拾いした乳母の伝承と共に地元では大事にされてきた清水だという。
26番札所は案内書に円融寺と岩井堂と2ヶ所書いてある。元々は岩井堂が札所だったが山奥過ぎて無住寺となり、納経所は町中の円融寺が代行したが、今では岩井堂は円融寺の奥の院と位置付けられた。円融寺に納経帳を差し出すと「岩井堂に参詣したか?」と問われそうで心配したが、円融寺本堂の観音様にお参りすればよいのだった。でも岩井堂にも行った。
道は昭和電工の工場に入って行った。多少心配しつつ門衛に「入らせて頂きます」と言ったら、門衛は親切に道案内をしてくれた。工場を抜けて三百余段の山道をひたすら登る。頂上近くの大岩の斜面に舞台造りの岩井堂があった。頂上に道は続いていたが、体力を温存して先を急ぐ。
時々はどこが道だか判らなくなる尾根道を行く。高みをマクことを嫌い忠実に稜線の上下をなぞって行く山道を30分余り行くと、護国観音という15mのコンクリートの観音様が秩父盆地を見下ろしていた。以降急斜面を里まで下り27番札所に出た。昨今は山から来る人は少ないと言われた。
28番札所は山の中だ。武甲山は西肩が張り出してその先端が65mの断崖になっている。その石灰岩の岩壁を背にして橋立寺はある。その岩壁にある橋立鍾乳洞に入場料を払って入ろうとしたらヘルメットを被って行けと言われた。なるほど狭い洞窟で、入口から10m下ってから出口まで40mも上ったかと思われた。この地方の鍾乳洞はみなこういう竪穴だという。
最後の34番札所水潜寺は、本来は2時間歩いて峠を越えて参詣するものだそうだ。レンタカーを往復4時間止めておくのは馬鹿らしいし、片道4時間ならまだしも往復は嫌だ。寺周辺は携帯の電波が怪しくタクシーを呼べない可能性も恐れた。結局レンタカーで大回りし最後は対向車が無いことを祈りつつ1車線道路で寺の直下まで行った。少し後ろめたかった。以上