法王Benedict XVI は英紙Fincial Timesの要請に応え、同紙12月19日に"A time for Christians to engage with the world"という一文を寄稿された。非宗教媒体への寄稿は珍しい。私はOp-Ed=Opposite Editorialという単語を知らなかったのだが、社説を見開いた反対側の格調高い頁に掲載されたという。Financial Timesの頁にも次の頁の後半にも寄稿全文がある。http://visnews-en.blogspot.jp/2012/12/the-pope-in-financial-times-christmas.html 法王は概略次のように言っておられる。
「イエス・キリストは「カイザル(=皇帝)のものはカイザルに、神のものは神に返しなさい。」(マタイ伝22-21)という言葉で、救世主=キリスト、神、皇帝、は別の存在だと民に想起させた。キリストの誕生は我々に、この3つの峻別に照らして優先度、価値観、生き方を再考させる。Christmasは楽しいが、深く自省し良心を見直す機会である。議会であれ株式取引所であれ、日常生活や世俗の事柄についての閃きをキリスト者=キリスト教徒は福音書から得る。キリスト者は世俗を避けることなく世俗に関与して行かねばならないが、政治や経済への関わりもキリスト者として関わるべきだ。キリスト者は、貧困と闘う。神の僕として最も弱い者を助ける義務があるという信念から、地球資源のより公平な配分に尽力する。寛大と非利己的な愛が人生の満足を導くという確信から、貪欲と搾取に反対する。人間の高遠な使命を信じる故に、平和と正義を推し進める仕事の緊急性を知る。キリストはまぐさおけから我々に、善意の全員が協力して築く天の王国の市民として生きよと告げている。」
経済紙への寄稿であれば法王といえども非キリスト者への呼び掛けがあっても良かったが、法王はキリスト者に向けて語っている。Christmasは自省の時で、今こそキリスト教精神で世俗社会と関わるよう諭している。その精神性が飛んでしまった日本のChristmasに罰は当たらないのか。 キリストの誕生日は実は不明で、聖書にも何の記述も無い。生年すら7〜2 BC頃と言われていてはっきりしない。BC=Before ChristやAD=Anno Domini=キリストの年 という位だから 1 BCの12月25日にキリストが生まれたのかと早合点する人も多かろう。教会も厳密には12月25日を誕生日とは言っておらず、降臨=誕生を記念する祭としている。4世紀に教会がその祭を12月25日(昔は24日の日暮から25日の日暮までが25日)と決めた。太陽の復活を祝う古い暦の冬至祭を転用したという説もある。
樅の木を立てるのは北欧German民族の冬至祭の行事だったが、15世紀に独に伝わり、BerlinにChristmas Treeが初めて立ったのが1800年、独移民が米国に持ち込んだのは18世紀半ばであったが、米清教徒は当初はTreeを異教のものだと排斥したという。一方4世紀の聖人Saint Nicolasを信奉し命日12月6日を記念日としたオランダ人の移民が米国に記念日を持ちこみ、17世紀にChristmasに活躍するSanta Clausを米国で確立した。トナカイ? トナカイはSanta Clausが連れて来たに違いない。Christmasの行事や商業化が米国が起源というのが面白い。12月26日の朝日新聞には、JerusalemではChristmas Treeも滅多に見掛けないという現地報告が掲載されていた。まず樅の木が無いだろう!!
米国は不思議な国だ。近代化が宗教を寂れさせる世界的傾向にも拘わらずキリスト教が盛んだ。幾つかの理由があると、経済誌Economistの記者が分担執筆した本Megachange: The World in 2050 に書いてあった。
(1)欧州社会は教会から離れて世俗化したが、米国では教会が世俗化して社会に溶け込んだ。つまり楽しく人生を豊かにする教会になった。
(2)米国民の12%は他国生まれの移民であり、生来の米人でも一生に平均12回も移住し知らない土地で生活する。そこでは教会が拠り所となる。
(3)米国は他の先進国に比べて生活が厳しい。寿命は収入に比例して平均寿命は世界で34番目。先進国で唯一国民皆保険がなく40M人が無保険。
「人生の危うさが宗教心を育てる」という定説の通りだと。
世界中で問題を抱えながら、ノーテンキな日本を含めて世界中で今年もChristmasが祝われた。来年はいくらかましな年であって欲しい。 以上