5月3日の憲法記念日に、護憲・反戦・反原発の全面意見広告を朝日新聞で見た。出したのは「市民意見広告運動・市民の意見30の会」だ。多分当初30人で始めたのかと想像した。全面に様々な字体で「命」の字をちりばめ、中央に大きく「いのち 殺すな・殺されるな」とあり、右端に「憲法9条・25条を活かそう すべての原発を廃炉にしよう」と訴える。左上には9項目の意見が列挙されていて、「憲法改定反対、健康で文化的な生活(松下註:これが第25条で反原発に)、日米安保終了、全ての軍事基地閉鎖、自衛隊解体、原発廃炉、核兵器反対」などが表明されている。
まず理想の高さと行動力に敬意を表する。しかし現実との乖離の故に、良い影響よりも世を混乱させる悪影響の方が大きく、社民党・共産党シンパの拡大位にしか役立たないように思えた。昔の藩は武装していたが、今は県が武装していないのは法律と裁判所と判決の執行機関が出来たからだ。それらが実効を持たない国際関係で武装無しでやれる訳がない。中米Costa Ricaは非武装宣言をしたが、防衛は米国に頼っている。
そもそも現実と第9条は素直に見れば矛盾しており、米人に違いない憲法起草者の高い理想は既に破綻している。屁理屈で自衛隊は合憲としているに過ぎない。憲法か現実かどちらかを変える必要がある。
上記広告も共通点があるが一般的に、震災以降の国民の保守化が大変気になっている。「経済成長を狙うから様々な副作用が出て来る。GDPを忘れてBhutanのようにGNH=国民総幸福を目指そう」「今のままでよい。増税も貿易自由化も郵政民営化も国際化もしなくてよい。原発はまっぴら」「小泉-竹中時代の経済政策が日本をおかしくした。その逆が正解だ。競争の無い穏やかな時代に戻ろう」などという主張が多く見られ、共感を示す向きが多い。本人達は保守主義のつもりはなく、そう言われると怒るかも知れないが、要するに沈香も焚かず屁もひらず、平穏で安全な日々を送りたいということだ。私の趣味ではないが、その気持ちは判る。但し歳入の2倍もの歳出で「このままでよい」とは現実離れしている。
判らないのが、同時に「政府は景気を良くして欲しい」という強い世論があることだ。だいたい政府に期待するのが間違っている。昔は公共事業を増額すれば景気は良くなったものだが、小渕内閣(1999-2000)以来その手は効かなくなった。自分は十年前と同じことをしていて政府努力で業績が上がるようにして欲しいというのは、時代遅れの発想だ。加えて次の矛盾がある。景気が良くなるということは所得の向上=GDPの向上であろう。「GDPは忘れよう」と「景気を良くして」とは矛盾している。同一人が矛盾していることもあろうし、別の人が2つのジレンマをそれぞれ強く主張して民意となっている面もあろう。このように民意はしばしばセンチメンタルで論理的には矛盾したり正しくないことが多い。
世界経済は成長している。昔なら輸出が伸びて日本も好況にありつけたのだが、経済が国際化して新興国が製造業の拠点になったために、日本で作って輸出するモデルが成り立たなくなった。だから今や日本が成長するには、日本が世界の一員になるしかない。そのための構造改革が必要になる。改革は勿論成果を狙うが、副作用の無い改革は無い。その副作用に上記の保守主義が真っ向から対立する。それがTPPに反対する兼業農家であり、消費税増税に反対する庶民だ。日本人は優しいから、副作用で犠牲者が出ることを許容しない。だから日本では改革は実行され難い。
日本の首相は与党議員が選出する。与党議員は民意に反すると落選するから、首相が民意に反しそうになると引き摺り下ろす。だから日本の首相は、世論が割れた案件に手が出せない。それが公選大統領と違う点だ。
経済成長のための施策は判っている。国際化(貿易自由化、規制緩和、税制を世界相場に)、財政再建(増税、支出減)、人口対策(子育て支援、女性・高齢者活用、外国人歓迎)、国民の活性化(競争環境)などだ。だがその副作用を選挙民は許容しないし、政治家は失脚を恐れて妥協線を出せない。だから日本は沈没の他は無い。意欲ある企業と個人は、国と共に成長することを諦め、自ら世界に出て雄飛せざるを得ない。 以上