南EgyptのAswan Damの下流側の町Aswanで少し時間があったので、独りで町を散歩した。改装で閉鎖中の有名ホテルSofitel Old Cataract Aswanを隣接の公園から覗き込んだ。Damで水流が平準化したため隠れてしまったNile川のCataract=滝・急流に面した1899年開業のホテルで、仏系のSofitelが買収し新館を建てたから元の建物はOldだ。露皇帝、Egypt王、Diana妃などが泊った。ここで英小説家Agatha Christie(1890-1976)が、探偵ポアロのミステリ小説"Death on the Nile"「ナイルに死す」1937を書いたという。有名な「オリエント急行の殺人」は1934年の著作だ。
ホテルの筋向いに宗教施設らしい真っ白な建物があった。屋根は乳房型の先が尖ったドームだ。その屋根にも塔の上にも十字架が掲げられていると見えたが、よく見ると私の知るどの十字架とも異なる。縦棒の中ほどに水平に十字架を取り付けたのは立体化対策としても、5つの先端に正方形を斜めに取り付けたような形だ。イスラム教国Egyptだからモスクかも知れないと、道端の紳士に確認したら、やはりキリスト教会だった。モスクに入って行ったら叩き出されるだろうが、キリスト教会なら入れるだろうと、門番に尋ねたら「どうぞ」と言われた。2層の巨大な会堂ではミサが行われていたので、後方で静かに雰囲気に浸り献金して退出した。出口に教会関連の売店があり眺めていると、おばさんがCoptic Crossだと言って銀色のペンダント・トップを出してきた。そうか、Copt教会なんだ!!
塔の十字架とペンダントの十字架は少し違っていた。後者は、各先端が3つに割れた四葉のクローバの形をしており、四弁の花のようで美しいのでつい記念に購入してしまった。おばさんは3つの突起は「父と子と聖霊」だと説明した。そうか、Trinity=三位一体か!! 塔の十字架は十字が強く、先端の3つの突起は小さく遠目には斜めの正方形に見えた。
受験勉強の世界史を思い出せば、Egyptに伝来したキリスト教がローマ帝国の迫害を受けてNile川上流に逃げ込み、Nubiaの黒人によって守られてCopt教として確立したと記憶していた。三位一体が教義として確立する以前に成立したはずだ。そんな疑問をおばさんに質問しても仕方ない。生憎Egypt政府がWebを全て遮断していたので、帰国後に調査してみた。
そもそもEgyptにキリスト教を伝道したのは、新約聖書マルコ伝のSt. Markだそうだ。Alexander大王がEgyptを占領して首都Alexandriaを創り、Ptolemy王朝を立てたがCleopatraを最後に30BCに亡びた。Cleopatra以降のEgyptはローマ帝国の一地方になったが、そのAlexandriaに42ADにマルコがやってきて布教を始め、68ADに市内引き回しの上処刑された。312ADにローマ帝国はキリスト教を公認したので、以降キリスト教がEgyptの主要宗教となり、AlexandriaはRomaと並んでキリスト教の中心地となった。641ADにイスラム教のアラブ人がEgyptを支配し、キリスト教Egypt人をCoptと呼び重税を課したため、徐々にイスラム教への改宗が進んだ。しかし南Egyptを中心に常に人口の10-20%はキリスト教に留まり今日に至る。
Coptic Orthodox Church of Alexandriaという教派が今は主流で、今日でもAlexandriaに法王Popeが居る。Nile中流生まれの肌の黒い法王だ。
当初Copt教はAnkhという十字架を使った。生物学でメスを表す記号と同じで、十字の上に円がある。この記号は生命、太陽を表す古代Egyptの象形文字でもあり、BC13世紀のAbu Simbel神殿の壁画でも見かけた。だからCopt人=キリスト教Egypt人には親しみ易かったのであろう。現在でもCopt教の米国支部・英国支部はこのロゴを使用している。時代が移り三位一体の教義が確立した4世紀以降に、地中海のキリスト教の影響で、先端が3つに分かれた十字架をCopt教が使用するようになって今日に至る。Tre-foil Crossと呼ぶらしい。Treは3、Foilは薄膜という意味しか知らなかったが、建築の世界では葉型飾をFoilと呼ぶそうだ。購入したペンダントは、それを花型にデフォルメして装飾的にしたものだと理解した。
話に聞くだけだったCopt教に思いがけず接し、その歴史を学んだことで、花型のペンダントが一段と思い出深いものになった。ワイフは「貰ってもいいけど、そんなに頻繁には使わないわよ」という。 以上