第2次大戦中の英国を率いたWinston Churchill首相が1947/11/11の英国議会で次のように演説した。".... Indeed it has been said that democracy is the worst form of Government except for all those other forms that have been tried from time to time.…"「誰かが言ったようだが、民主主義は最悪だ。今まで試された他の政治体制を別にすれば。」とChurchillが言ったと有名になった。
或る講義で「日本の選挙民はこういう間違った判断をしている」と言ったら早速、「選挙民にも色々ある」と反論があった。多分「俺はそんなに馬鹿ではない」と言いたかったのだと思う。勿論選挙民は多様だが、与党を決める上では「選挙人」というあたかも1人の人格のように振る舞う。
終戦直後小学校高学年の私達には、GHQが推進したに違いない「民主主義」という教科書が配られて、国民の声を政治に反映する体制こそが正しい政治の在り方だと習った。最近でも「我々の意見はこうだ。それを取り上げない政府は民主主義に反している」と主張する人が多い。例えば沖縄辺野古沖基地反対だ。それは民主主義の曲解だと私は思う。
Sputnikの数年後、ソ連が輝いていた時代に米国の大学院生だった私に或る米学生が言った。「彼らの政治体制は鋼鉄製の船で効率が良いが、転覆すれば沈む。我々の政府は木の船だから沈まない」と。30年後にその通りになり、民主主義は労働者独裁という名の国家全体主義に勝った。
選挙人は一般に、物理的にも時間的にも近視眼的で、今の身の周りしか考えない。論理的であるよりも感情的だし、精進よりも享楽を好む。だから阿波の殿様は阿波踊りを流行らせ、ローマ皇帝は円形闘技場を作った。一言で言えば選挙人は愚かだ。「うつせみ」の読者は愚かではないだろうが、「うつせみ」の読者の意見と選挙人の総意とは恐らく異なることが多い。公立小学校の同窓生の総意がおよそ選挙人の総意となる。
しかし愚かな選挙人は同時に賢明でもあるから、民主主義が成り立つ。独裁者は皆堕落し国民のための判断が出来なくなる。中国の国家主席にその兆候が見られないのは珍しい例外だ。民主主義体制では選挙人がリーダをチェックする。またリーダが極端に走ることを止める。ここにも例外があって、独国民は民主的にHitlerを選び熱狂的に独裁者にした。第1次大戦後の独の惨状という例外的環境条件がそれを可能にしたのであろう。
選挙人は愚かだから、選挙人の望む通りの政治をするのが民主主義体制のリーダではない。そんなことをしたら国が滅びる。選挙人の欲するままに政治をしたら、日本ではTPP反対、安保法制反対、増税反対となろう。ギリシャ的な財政破綻になってから選挙人は、自分の主張が主因の一つとは夢にも思わず「政治が悪い」と騒ぎ始めるに決まっている。選挙人からダメを突き付けられない範囲で、世界的長期視野を以て、選挙人の意思に或る程度反しつつ国を導くのが民主主義体制下のリーダの役目である。
各国の政治体制によって、選挙人とリーダとの距離感が異なる。日本や英国のような議会制内閣では、選挙人の意向に著しく反したリーダは、落選を恐れる議員が引きずり降ろす。任期はあって無きが如しだ。日本では現安倍内閣までに短命内閣が続いた一因であろう。選挙人とリーダの距離が最も短い政治体制だと言える。日本の高度成長期のように国民的コンセンサスがあれば政治は進め易いが、国民が甲論乙駁になってくると政治が安定しない。しかし安倍首相は極めてうまく立ち回っていると思う。
米国や韓国のような大統領制では、一度当選すれば任期満了までクビになる心配は無いから、選挙人の好まぬ国家施策(例えば米の国民総健康保険)を必要に応じて或る程度進められる。もっと距離がある政治体制が中国で、選挙人をほとんど心配せずに、リーダは国家百年の計を推進できる。高性能の鋼鉄の船だ。近年の変転激しい世界情勢の中で棹さして行くには、議会制内閣では選挙人との距離が近すぎると私は思う。Churchill首相が民主主義は最低だと怒るのも判る。大統領制くらいが丁度よい。
民主主義は民意が或る程度纏まっていないと能率が悪い。格差が大きいタイでは民主主義が育たない。甲論乙駁の今の日本も似て来た。 以上