東京国立博物館の本館左に建つ宮殿風の表慶館を占有して「煌きのダイヤモンド展」(10/7 - 12/21)が今開催されており、今日ワイフと一緒に見てきた。ついでに平成館で伊能忠敬の古地図展と京都の大徳寺聚光院の国宝襖絵展も見てきた。大英博物館至宝展は待ち行列50分で諦めた。
世界のダイヤ原石の80%、カットされたダイヤの半分が取引されるというベルギーのAntwerp所在の、Antwerpダイヤモンド博物館の所蔵品を中心に個人所蔵などを加えて200点を展示し、16世紀から現在に至る歴史を学ばせてくれた。込み合った人の肩越しに次から次へと見て行くうちにみんな同じに見えてきて、ダイヤかガラスかどっちでも良くなってきたが、さすがワイフは全点熱心に凝視して回った。
ダイヤモンドは周知の通り炭素だ。ピラミッド2個の底面を合わせて上下に重ねた正八面体の6つの頂点に炭素原子が配置された形を1単位として、それを複数個集めた正八面体がダイヤの基本形である。だから1世紀のギリシャ文献に初登場するダイヤは、天然の正八面体をほとんどそのまま使用した。尖っているからポイント・カットと呼ぶが、硬過ぎて磨く手段が無かったので、正八面体の各面から薄い結晶を欠き取って整形した。加工し難いし色彩美もなく、正八面体ではさして光輝もなく、あまり美しい宝石とは考えられなかったようだ。しかし何よりも硬度が高いことで珍重され、ひいては身につける男性を不死身にすると信じられていた。これに対して緑色が美しいエメラルドは、紀元前4000年のバビロンに取引市場があり、前1世紀のクレオパトラは鉱山を所有して愛しんだという。
15世紀にやっとインド産のダイヤが欧州の宮廷に入り、16世紀には、正八面体の一方のピラミッドの上半分を欠き落としたテーブル・カットが出現して欧州の上流女性の装身具に普及した。因みにこの頃女性の下半身を円筒形の籠で覆ったペチコートの前身は、ウェストと腰を強調対比したのかと思っていたのが大間違いで、実は下半身の体形を隠す禁欲的な目的だったそうだ。昨今の犯罪的なスラックスとは対極にあったとは驚きだ。
16世紀末にダイヤをダイヤ粉で研磨しカットする技術が生まれ、仏宮廷の蝋燭のパーティで煌くローズ・カットが生まれた。複数の三角形で覆われた饅頭型で、従前に比べて輝きが断然優れていたので、この時からダイヤが宝石の王となり、王冠など王権の宝器の主宝石として必ず使用されるようになった。ローズ・カットは19世紀まで一般的であったが、18世紀初めに生まれたブリリアント・カットが徐々に普及し、20世紀以降今日ではダイヤの標準形となった。あらゆる方向から入った光が全て屈折と反射で前方に出てきて煌くカットである。
インドのダイヤが掘り尽くされた頃、18世紀にはブラジルでダイヤが発見され、世界の供給源となった。18世紀は自然主義が盛んになった時代で、ダイヤは花や葉の形のブローチやコルサージュに埋め込まれた。19世紀初めにナポレオンが皇帝になると、宮廷でダイヤが益々もてはやされ、女性の髪の前を飾るティアラが発明され、リヴィエールと呼ばれるネックレスが流行った。真珠のネックレスで中央の珠が大きく首に向かって少しずつ小さくなるのがあるが、それをダイヤを埋め込んだ金属で作って流れを表したのが仏語の川でRiviereだ。
19世紀後半に南アフリカでダイヤが発見され、次いでベルギー領コンゴからのダイヤがAntwerpに流入するようになり、Antwerpのダイヤ支配が始まった。仏Cartier、伊Bvlgari、米Tiffanyなどがダイヤを中心とした宝石商としてこの頃生まれた。20世紀も第2次大戦後に、ダイヤは文明国の一般庶民に普及するようになった。デザインに一段と注力するようになり、従前は低品質とされたカラーダイヤの評価が上がってきた。
実は1ヶ月ほど前、USA Todayで興味ある広告を見つけた。「愛する人が亡くなった時、火葬を弱くして炭素を残せば、それからダイヤを作れます。愛する人と永遠に一緒に過ごせます。0.1カラットで25万円、1カラットで130万円」 サンプルの写真はなぜか黄色だった。あまりダイヤにはして欲しくないなあ、米人は考え方が違うのかな、とワイフと話した。以上