客船Diamond Princess=DP号でのCOVID-19集団発生は、2月3月に大きなニュースとなったが、なぜ培養器のようになってしまったのか。ワイフと私は短いクルーズは別として、米船で3回、合計約200泊のクルーズをしたことがあるので、DP号事件を取り上げた5月2日のNHKスペシャルは、興味深く見た。驚いたことにWikiにも既に「クルーズ客船における2019年コロナウイルス感染症の流行状況」という項目が立っていた。
今回DP号は1月20日横浜港を出港し2週間余の旅に出た。鹿児島経由で香港に25日に到着した。船内で80歳の男性が23日から咳などの症状を発し、香港で下船後に発熱して新型コロナウイルス陽性と診断されたのは2月1日だった。直ちに香港の船会社代理店に連絡されたが、対応策の策定に手間取り、船長から乗客に放送されたのは2月3日だったという。船はベトナム2か所、基隆、那覇を周遊して2月3日夜横浜港に戻り、政府の指示で横浜Bay Bridge東端の大黒埠頭の沖合に停泊した。
DP号は英社が保有し米社が運航する1,300室、船客定員2,706人の18階建の大型客船で、外国船ながら面白いことに専ら日本近海で日本人を主対象に事業を行っている。横浜大桟橋に停泊中のDP号を2-3度見掛けたことがあり、大桟橋からでは290mの全貌が撮れないので、わざわざ赤レンガ倉庫まで回り込んだこともある。DP号が横浜港に戻った時に、船客は2,666人、乗務員1,045人、合計3,711人だった。定員の8割で通常は満員感があるので、超満員だったことになる。船客の約4割が日本人で、後は米・加・豪・比島などだった。この中から感染者が712人で全体の19%、死者13人で感染者の1.8%だった。感染者の半分弱は無症状感染者だった。
最終寄港地那覇を2月1日に発ち2日は横浜に向かう航海日だったが、この最後の夜に盛大なダンスパーティが船内のアトリウムで行われ、三密の中で数百人が大いに盛り上がったという。この時に感染者が(松下の想像では2桁に)増えて、その後の指数関数的増加につながったと研究者は見ている。パーティの翌日の3日の横浜帰航の日になって、香港で下船した感染者が居たために横浜港で足止めされるということが船客に知らされた。明らかに船長以下の幹部も、運行会社も、リスクの想定が甘かったことになるが、当時はまだウイルスの怖さが知れ渡ってはいなかった。
船は「国の出先」だから、所有者の英国か運営会社の米国が船内管理の第一次的責任を持つ。日本政府に依頼したのか、日本人が多いことから自発的だったのか知らないが、日本政府が対処に当たった。政府も当初は感染源は発熱前に下船していることだし大したことはあるまいと楽観的だったが、2月3日のうちに急遽サンプル調査をした船客31人のうち10人が感染していたことを知り、世田谷区の自衛隊中央病院に陽性者109人を担ぎこんだ。コロナ感染重症者を優先的に入院させるのは当然として、陽性で軽症者と、陰性ながら他の病気で重症になった人とどちらを優先するかに迷いがあったとNHKは報道した。NHKには1人のご夫人が出演され、ご主人が38度の熱を出したが検査も診察もして貰えず、発熱3日後にやっと搬出・入院となったが、40日後に亡くなったと語った。クルーズ中に誕生日を祝って貰った幸福の絶頂から最悪の事態になり、最後を迎えたご主人とガラス越しに掌を合わせただけでお別れしたと、泣いておられた。
船は一度海水の汲み込みと称して千葉沖まで往復した。私は排水処理を拒否されて、黒潮に流したなと思った。その後3月1日にやっと全員下船となった。下船後の無症状者の部屋からもウイルスが検出されたという。
客船固有の困難があった。ホテルなら感染者を隔離しZoningするために部屋を替ってもらうことも出来ようが、船室は客の所有感覚が強く、結局入れ替えは出来なかった。乗務員には防護服も医療用マスクも備えられていたが、訓練が不充分だったという。船は停船中でも揺れるから、廊下や階段の手摺を掴む機会が多い。それに3千人にウイルス対策行動を急に教え込んでも徹底しないだろうから、ドアノブからバイキングの鍋の蓋まで、あらゆる所で感染が進んだであろうことは想像に難くない。せめて我々はこの残念で不幸な事件から学ぶことをしなければなるまい。以上