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短編随筆シリーズ「うつせみ」より代表作 Photos of flowers, butterflies, stars, trips etc. '96電子出版の句集・業務記録

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うつせみ
2003年11月 1日
              耄碌

 衆議院比例区で中曽根元首相の去就が注目された。終身一位などと無条件で約束した橋本総裁も悪いが、その約束を対案無しに反古にして定年制を強行した小泉総裁も同罪だ。自民党内で然るべき地位を用意して礼を尽くして嘆願すれば丸く収まったのではないか。中曽根氏は「若い人でも能力のない人も居るし、年を取っても働ける人も居る。年齢で切り捨てるのは言語道断」と言った。全く同感したくなる年代に私は今居る。

 米国では年齢で雇用を差別すると違法だから、入社試験の書類や面接で年齢を聞いてはいけない。合格させれば良いが不合格の場合、年齢で差別されたと訴えられる可能性があるからだ。同様に、出身階層が判る可能性があるから住所を聞いてもいけない。専ら果たすべき役割に関する経験や実績を聞くことが中心となる。年長者をクビにする時も、年齢ではなく業績が上がっていないとか、業績は良くてもその仕事は会社が止めるから人も要らなくなったとかの理屈が必要になる。クビにしようとする人を「無理目な仕事」にまず配転することは日常茶飯事だ。

 日本では終身雇用制と表裏一体の関係で定年が広く行われてきた。だが終身雇用制が怪しくなってきた今日でも定年制だけは堅持されているのは不合理と言えば不合理だ。年齢で一律に辞めて貰う定年制は、年齢で能力が低下したら辞めてもらうという難題を雇用者が避けてサボっているに過ぎない。まして(終身一位の約束があった中曽根氏は別として)終身雇用でもない衆議院比例区に定年制を導入するのは筋が通らない。  ビジネスの世界で耄碌しても頑張り続けている年寄りは多い。いわゆる老害である。まだ年齢はさほどでないのに耄碌している人もいる。ビジネスマンを辞めた方がいい耄碌症状を具体的に定義してみようか。いやこういう項目を加えたいというご提案があれば大歓迎だ。

1. 古い価値観に拘泥
 @ 昔の自慢話が多い A 今の人気歌手を知らない B 読書しない
2. 精神活動能力の低下(ボケ)
 @ 部下の名前のド忘れ A 話が長く同じ話を繰り返す B 道を忘れる C 過去3期の売上・利益を言えない D 自社他社の事業・製品の比較が出来ない E 自分の発表内容を部下に制作させる
3. 前向き指向の低下
 @ 戦略会議で主導権を取らない A 変革に反対する B 階段は避ける C 異性に興味なし
4. 裸の王様で部下が面従腹背
 @ 悪い話が入らず良い話だけ入る A 反対すると怒る B 失敗を認めない C 面子に拘る

 商売柄「ベンチャ企業」の色々な社長に会う。明らかに耄碌している社長も居る。この前或る発表会に出席した某社長もその一人だった。Power Pointで発表するのだが、立って身振り手振りで発表した若者の後に、社長は二人連れで発表者席にのろのろと座った。連れに促されてしゃべり始めたのだが、単語が連続して出てこない様子で、ブツ切れの話は極端に長く、何を言っているのか判らなかった。講評者が「あなたの年齢では社長は無理ですよ」と言うと社長は「いや若い後継者は既に用意していますが、会社を立上げるまでは私がやらないと無理」と答えた。

 学生の頃尊敬する恩師が言われた。「耄碌は自分では絶対に判らない。不思議なものだねえ」 体力や容姿の衰えは自分で容易に判るが、耄碌だけは自覚できないというのは確かに不思議である。

 私は「偉くなると年を取る」と信じている。社会的地位の上下は本当は関係ないのだが、社会的地位が上がり「偉い人の行動パタン」になると年を取る。社用車に乗り、部下のお膳立てで仕事をし、ゴマをする人に囲まれて、いい気になっていると耄碌するということだ。だから年齢は若くても先輩風を吹かせて威張っている人ほど年を取る。年齢を重ねても若い人と競い、積極的な仕事・生活をしていれば年を取りにくい。使わない筋肉が急速に退化するのと同じだ。ご同輩、気を付けましょうぞ。  以上