入試には文書処理能力が必須だから、或る程度入試が難しい大学、いわゆる指定校の卒業生だけを採用する大企業の社員は、文書処理能力の下限が保証された部分集合だ。それでも、理系文系を問わず多科目の入試を科す大学に入学卒業した技術者は、そうでない技術者よりも文書処理能力があることを私は経験的に知っていた。大企業を出て日米の中小企業で働いてみると、他の能力は優れているのに文書処理能力が著しく劣る人に時々出会った。そのうちに、文章処理能力が駄目な人ほど対話能力に優れ、社交力や発想力に秀でた人が多いということにも気付いた。やがて或る本で私は、偉大な芸術家・科学者・企業家の一部には文章が読めない「読字障害=Dyslexia」を持つ人が居ると知り、この言葉に興味を持った。Dys=Dis=否定、Lex=語・読書。Lectureを初めLecXXXという単語群が英和辞典に並んでいる。最近読字障害を取り上げた次の本を発見して読んだ。
プルーストとイカ、Maryanne Wolf、小松淳子訳、合同出版
本の中身は3部作で、(1)人類が文字文化を習得した経緯、(2)子供が文章を学ぶ過程、(3)読字障害、をいずれも脳科学の立場から解説している。文字は、絵文字→表意文字から始まって表音文字が発生し、漢字仮名混じり文のような表意文字+表音文字の使い方が普及した。また言語の性格にもよるが一般動向としては、表音文字も当初は(仮名のような)音節文字から、(Alphabetのような)音素文字に変化している。漢字仮名混じり文は日本で生まれた特殊事情かと思っていたが、セム語系アッカド語も、エジプトの象形文字も、マヤ文明の文字も、みな漢字仮名混じり文=表意文字+音節文字だったそうだ。意外に自然な形なのかも知れない。
人間は聴覚については生まれながらにして処理能力を持って生まれるが、読字能力は個々人が誕生以降にそれぞれ脳の既成機能を組み合わせて創り上げて行かねばならぬ。人間が2百万年前に分化する前から聴覚は生存に不可欠だったが、読字能力が必要になってから日が浅いことが原因であろう。あと何十万年かすれば人間も読字能力を持って生まれるかも知れない。まず文字または文字列を視覚パタンとして後頭葉に描き、既知パタンとの一致を求める。一致しなければ(「無意味なノイズ」とか)処理は終了する。一致したら(「馬」の字とか)頭頂葉で意味処理(「馬と鹿を比べる」とか)を行い、前頭葉で論理処理(「馬鹿の語源を漢文で習ったな」とか)を行う。英語のように綴りと発音が一致しない言語では、「この単語はどう読むのだろう」と頭の中だけで発音してみる過程が加わり、脳の聴覚に関わる部分が働く。綴りに規則性のある独語・伊語や表意文字の中国語などでは聴覚機能は働かない(働く必要がない)。中国語(漢字)の場合は文字パタンが複雑なために、最初の後頭葉でパタン処理する段階で広い面積を要し、他言語では通常左脳だけで処理するのだが中国語では右脳まで動員して処理する。日本語は漢字を読む時は中国語と同じで、仮名を読む時は英語に近いが聴覚機能は働かない。
子供の場合は各部分が未発達である上に連携に時間が掛かる。それが教育課程で脳の関係部分が短絡的に連携するパスが出来上がり、スラスラ読み理解出来るようになる。幼児期に母親が絵本を読み聞かせたりする時間が充分とれるだけで、幼児の文章理解から読字能力が向上するという。
因みに、小学校以前に2ヶ国語を覚えた人は2ヶ国語とも正常な脳機能を使って読字できるが、長じてから学んだ外国語は母国語とは違う脳部分を稼動させて辛うじて読字するという。きっと英会話もそうなんだ。
Edison, Da Vinci, Einsteinは読字障害の3大偉人だそうだ。実業界ではCisco会長Chambers氏、証券会社会長Schwab氏なども読字障害があると言われている。上記の読字過程の何処が隘路になっても読字障害になるのだからその種類は多い。しかし言語処理の左脳がうまく動いてくれない分右脳で処理しようとして、右脳が異常に活性化する。このため発想、造形、勘などで常人よりも優れた能力を発揮する。なお読字障害は近年の脳科学と心理学を以てすれば幼児期の訓練で修復可能だというが、上記リストを見てしまうと修復した方がよいのか悪いのか迷ってしまう。 以上