既報「Backfire」で、Enron社がなぜ損失を積み上げたかを取り上げた。将来の予想利益まで今日の業績評価になる仕組みの上で必賞必罰を徹底したため、損失案件を将来儲かる案件として持ち込む輩が増え、それをチェックする部門も、社員相互評価で半年ごとに下位15%はクビになる制度の故に、恨みを買うことを恐れて甘い事業計画を追認した。また監査法人のArthur Andersenは経営コンサルも兼ねていて、株価リンクの高報酬を得ていたため黙認した。私がEnronの経緯を知りたくて読んだ本
Anatomy of Greed (強欲), Brian Cruver, Carroll & Graf Publishers
は、Enronの一般社員の立場から、しかしMBAの見識で見たEnronの消長記であった。筆者が2001年3月にEnronに入社してからの丸1年間に、超優良会社から破産会社になり、社員がチリジリになった激変を描いている。最初はEnronに勤めているというだけで尊敬を集める会社だった。高給で全米の才能を集め、億万長者を量産していたからだ。しかしその頃から実はEnronの幹部は自社株を盛んに売り始め、8月には巨額の退職慰労金を手に社長が急に退社した。会社の業績も評判も急坂を転げ落ちるように悪化し、同年12月2日にはChapter 11(会社再生法)の申請、つまり破産に至った。破産した会社に身を置き、その時幹部や社員がどう行動したかを観察する経験は容易に得られるものではないが、本は2002年3月までの会社の転落と関係者の動きを綿密に描いて迫力がある。これが筆者の最も描きたかった点かも知れないし、この本の一番の売りかとも思う。
元来Oil Pipeline会社だったEnronは、Derivative商売で伸びた。例えば雨が降ってほしい人には旱天保険を売り、雨が降ると困る人には雨天保険を売るような形でDerivativeを構成し、降っても降らなくてもEnronは儲かるような仕組みを理想とした。そういう案件を創り出す智恵を社員に競わせ、成功者には破格のボーナスで報いた。当初はエネルギー関連のDerivativeから始まり、ありとあらゆる不確定性を全て商売の種とした。その際冒頭のように将来の採算性の査定が甘くなったため、損失が積み上がった。筆者は取引先の破産による被害をヘッジする保険を担当した。
普通の事業では損失が長続きするはずがない。しかし「Backfire」で触れた大型電子計算機のレンタル商売では、終身的には損失になる案件であろうとも事業規模を無理に拡大して行けば自転車操業で損失は表面化しなかった。EnronにもSPE=Special Purpose Entityという打ち出の小槌があった。Enronが自ら或いは子会社が借金すると連結貸借対照表が悪くなるから、身代わりにSPEに借金させた。SPEは会社ではなく、特定目的の事業組合Partnershipだが、そのトップはEnronのCFOなどが就任し、実態上は一体であった。SPEの貸方の3%以上がEnronでも金融機関でもない第三者の出資なら組合として認められ、財務内容は連結も公表もしなくてよいという法の盲点をフルに活用した。EnronとSPEは談合してEnronの資産を使用中のままEnronがSPEに高価で売却することで、SPEが集めた資金をEnronが吸い上げた。そんなSPEに誰が金を出すかと言えば、Enronが高価な自社株を担保に提供し有利な条件を示して金を集めた。CFOはSPEのトップになることで$数十Mの私財を作った。つまりEnronは自社株が高くさえあれば、自社の貸借対照表をスリムに保ちつつ資金を無限に調達できた訳だ。SPEの借入金の返却期限が来ると、Enronは第二のSPEを建てて資金を調達し第一のSPEから資産を買い戻した。これらは全く合法的な範囲だった。
Enronには「No Bad News」という生活の智恵としてのルールがあったという。上部にBad Newsを上げるとすぐさま左遷されるかクビになったからだ。(1)将来性を甘く見て損失案件を積み上げたくなる仕組みがあり、(2)損失を重ねても密かに資金を調達できる合法的な打ち出の小槌を発明したCFOが居て、(3)No Bad News ルールがあった、となれば結果的にどうなるかは自明であろう。合法的な悪事を重ね、高報酬を得て大金持ちが続出する裏で損失が積み上がって行った。
この本を読んで実は私は安心した。Enronのような会社は米国と言えども多数派ではあり得ないことを実感したからだ。 以上