たった8行のGoetheの詩を延々70分間にわたって講じた講義を聴いた。特に強い興味があった訳ではないが、独語は好きだし、直後の予定との時間的つながりが良かったので、好奇心の範囲で出席した。講師は独文学者でフェリス女学院理事長の小塩節(おしおたかし)氏だ。この詩はGoetheの詩の中でも「Heidenro"slein=野薔薇」(Umlautを"で表す)に次いで有名な詩で、西田幾太郎訳を初め日本語訳も幾つかあり、Schubertなど多数が40種類も曲を付けているというが、恥ずかしながらなぜか私には初めての詩だった。原文 - 講師口語訳 - 講師文語訳を以下に示す。
Wandrers Nachtlied | - 旅人の夜の歌 | - 旅人の夜の歌 |
U"ber allen Gipfeln | - すべての峯の上を覆って | - 峯々に |
Ist Ruh, | - 憩いがある, | - 憩いあり |
In allen Wipfeln | - すべての梢に | - 梢を渡る |
Spu"rest du | - お前はそよ風のいぶきの | - そよ風の |
Kaum einen Hauch; | - 跡をほとんど見ない。 | - 跡も見えず |
Die Vo"gelein schweigen im Walde. | - 小鳥は森に沈黙している。 | - 小鳥は森に黙(もだ)しぬ |
Warte nur, balde | - 待つが良い やがて | - 待て しばし |
Ruhest du auch. | - お前も憩うのだ。 | - 汝(なれ)もまた憩わん |
Goethe(1749-1832)は26歳で、戦争で荒廃した中独Weimar公国の主である8歳年下の公爵に招かれ、以降一生を当地で過ごした。1782年には貴族に列せられvon Goetheと称した。当初は新進作家として招かれたのだが、公爵の顧問として実質的に国の復興改革を主導することとなった。実績は上がっていたが当然憤懣やるかたない場面も多く、そんな時1780年31歳で近くの標高861mのKickelhahn山に独りで登り、頂上の狩人小屋に1泊した。その時小屋の板壁に即興で上記の8行詩を鉛筆で書き付けたという。小屋は焼失したが、この詩のお陰で忠実に再建され今日に至るそうだ。
講師はまず、Wandrer=英Wandererをなぜ旅人と訳したかを論じた。字面からは当ても無く歩き回る「さすらい人」と訳したいが、芭蕉のような老人のイメージになり、精力的なGoetheの悩みが表現出来ないから、「旅人」にしたという。「逍遥人の夜の詩」とでもしたら良かったのかな。
講師は次に、峰や梢が見えているのになぜ「夜」の歌なのかと問うたが、誰も答えられなかった。そこで講師曰く、俳句のような日本の詩歌の多くは、或る時点を切り取って時間的な切り口を詠う。それに慣れた日本人には分かり難いが、この詩は峰が見える夕暮から暗くなって小鳥が歌わなくなり人も寝るまでの時間経過を詠っていて、後者特に最終行に力点があるから「夜の歌」なのだと解説した。なるほど。
講師はまた du=英you とは誰かと問うた。夕暮れを共にする恋人でも想定したくなるが、これはGoethe自身だという。日本の詩歌には、風景の一部としての農夫などはあるが、原則として生身の人間はあまり出てこない。まして自分を見つめ自分を「お前」と呼ぶ例はないと言われた。
この詩は米Longfellow, 英Campbellなど何人かが英訳しているそうだ。英国の小学校の教科書に載っているCampbell訳の6行目は「The robins (駒鳥) are silent in the forest of oak and pine(樫と松)」だという。現場にはそんな鳥や木は無く、想像の誤訳だが、何でも具体的に特定しないと気が済まない英文学の特質が表われていると講師はいう。「梢」とだけ言って後は読者の想像に任せる文学は日独共通だとのこと。
仕事に疲れて山に登り、大自然の夕暮れの静寂に接して心の安寧を取り戻し、あれこれ考えてはやる気持ちを「Warte nur=待て」と押し留め、さあ安らかに寝ようと自分に言い聞かせるのがこの詩の主題ならば、万人に共感を呼ぶ「夜の歌」と納得できる。俳句に通じるものを感じた。最後の2行を私自身に言う場面もありそうだ。短い詩だが力がある。
講師は朗々とSchubertを歌って意外に興味深かった講義を終えた。以上