すごい本を読んだ。Bangladeshの貧者救済にGrameen Bankを設立し2006年Nobel平和賞を受賞したMuhammad Yunus(ユヌス)教授の著作だ。
Creating a World Without Poverty, Muhammad Yunus,
PublicAffairs, New York, 2007, pp282
第2部前半のGrameen Bank物語を本稿でご紹介する。第2部後半は仏企業との合弁物語、他はSocial Business論を中心とする教授の持論で、別稿でご紹介する。EpilogのNobel賞受賞講演は本書の要約になっている。
教授は1940年Bangladesh生まれ、留学して米大学の助教授になったが、独立した母国に貢献したいと1974年に帰国し経済学部長になった。折悪しく大飢饉が起こり、学生を率いて貧者救済活動に身を投じる。当初灌漑に注力し農作物収量増に貢献したが、地主が喜んだだけで貧者救済にはならなかった。或る既婚女性が懸命に竹椅子を編んでも貧困から抜け出せぬ事情を調べると、高利貸から借りて竹を仕入れ、製品は高利貸に言い値で納入していたため、1日働いてもUS 2¢にしかならないことが分かった。
同様な女性42人の運転資金US$ 27を教授が貸したら大喜びで自力で販売し儲けてキチンと返済した。十億ドル単位で国家経済施策を考え講義していた自分を恥じ銀行を口説いたが、融資申請書も書けない貧者には貸せないとニベもなかった。やっと1977年に大銀行の常務が理解を示しGrameen(「村」の意)と名付けた無担保Microcredit(微小貸出)の特別支店を作った。業績は良好だったが借入者を助けるBabysittingはBankingではないと横展開には反対された。教授は政府に立法を働きかけ、やっと1983年にGrameen Bankを設立し、自前でMicrocredit事業を開始した。返済率は上々で軌道に乗り、1995年からは外部からの支援を受けない自立事業となり、2001-2年には仕組みを改良して新制度GrameenUとした。
78kの村の6M人に延べUS$ 6Bを貸出した。多くは預金者でも出資者でもある。貸出額の156%に達する預金US$ 400Mの53%は10年計画の老後保険だという。借入者の97%は女性だ。男性に貸して儲けると大喜びで自分のために使ってしまうが、女性は家族と子供のために使うから貧者救済の目的に適う。5年以上取引のある借入者の64%は貧困を脱出した。1984年からHousing Loanを始め、ほとんど女性名義で650k軒に貸出している。
借入者5人でグループを作って貰い、全員の同意がないと借入は出来ない。連帯保証ではなく、借入の質確保と返済促進の策である。国内に130kヶ所ある各センタに通常10-12の全グループを週1回集め、返済の集金と新たな融資申込みを受け、事業アイディアなどを討議する。借入者が死亡したら返済を免れる。借入者には誓約をさせる。できるだけ多く植え付ける、生水飲用禁止、結婚持参金禁止、家族計画、子供を通学、相互扶助などの16ヶ条である。金利はIncome-generating Loan 20%, Housing Loan 8%, Student Loan 0%→卒業後5%, Struggling Member Loan 0%。一方老後保険は12%計算で払込額の約2倍を返す。2004年から始めたStruggling Member Loanとは、乞食をしている人に US$ 15程度を貸出し、商品を仕入れて販売させるもの。100k人に延べUS$ 2.4M貸出し、うち60%は既に返済されているそうだ。10k人は乞食を止めて商人になったが、パートタイムの乞食兼商人がまだ多いという。2006年にGrameen BankはUS$ 20Mの利益を上げ、初めて出資者(その多くは貧者の借入者)に配当した。
Grameenと、Grameenに見習った他の機関で、国内の貧者の80%はカバーしたが、2012年までに100%にする。外国でも同様な機関が多数誕生した。1997年に第1回 Microcredit Summitが開かれ、137ヶ国3k人が参加した。当時借入者は世界で7.6M人(うち5M人はGrameen)だったが、2005年までに100M人にしようと目標を立てた。1年遅れたが2006年第3回Summitで目標達成が報告された。今度は2015年までに100M家族=約500M人を貧困から救済するという目標を立てた。ただMicrocreditブームに乗り、真の目的が貧者救済でない金儲け主義の機関が数多く出現して困っているそうだ。
確かにNobel賞に値する。ただ、五人組の縛りがあるとはいえ、乞食まで返済率が高いことには驚かされる。人は信ずべしということか。以上