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短編随筆シリーズ「うつせみ」より代表作 Photos of flowers, butterflies, stars, trips etc. '96電子出版の句集・業務記録

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うつせみ
2001年 8月11日

           ギリシャの疑問

 夏休みにギリシャを旅行して次のような疑問を抱き、調べてみた。
1.Dollarより高いはずだったEuroが安くなったのは、ポルトガルとギリシャのお陰だという。農業主体の欧州の最貧国と、Pythagorasの定理やAcropolisの神殿がどうも私の心の中で整合しなかった。
2.MacedoniaはAlexandros大王の故郷でギリシャ東海岸のはずだが、旧Yugoslaviaが解体してMacedoniaという国がなぜか北西にできちゃった。
3.英語は一部にしか通じなかったが伊語と独語の片言はよく通じた。港湾職員が日本人グループに向かってAlle zusammen, bitte ! と言った。
4.ギリシャ人男性と結婚した日本人女性数人に出会った。ミロのビーナスの如き美人が流暢な日本語を話す不自然の種明かしはハーフだった。

 歴史をひもとくと、20c BC頃印欧族がCreta島の宮殿などのMinoa文化、本土のMycenaiミケーネ文化を興こした。しかし鉄器の出現・普及で12c BCから数百年、地中海一帯は大型船と戦士の暗黒時代となり、都市は焼かれ略奪されて人々は山の上に町を作って隠れ住んだ。それが落ち着いた8c BCの詩人Homerosは、Phoeniciaフェニキアから伝わったAlphabetで口承文学を書き下ろし、Mycenai時代への回帰を掲げた復古時代を画した。

 8-4c BCには都市国家Polisがギリシャ各地に栄え、イタリア・アフリカ・小アジアにも植民都市国家が広がった。7c BCにはその一つByzantion(後のConstantinople)が建設された。またOlympusとDelphiがPolis間の宗教的「国際」領域として栄え、前者でOlympic Gamesが始まってDelphi他にも広まった。この頃の遺跡が今最も多く観光資源化している。

 Athinaiアテネでは508 BCに全員参加型の民主主義が誕生して大いに国力を高めた。東方に興ったペルシャが小アジアのギリシャ植民都市を脅かすに至り、Athinaiを中心とするギリシャ連合軍とペルシャ遠征軍が戦い、490 BCに奇跡的勝利の報をMarathonの野からAthinaiにもたらして息絶えた伝令を称えてMarathon競技が行われるようになった。ペルシャの2度目の遠征はAthinaiを占領したが、連合軍は海戦でペルシャを破り国土を取り戻した。Athinaiは盟主として他Polisから当初戦費を、勝利後も税金を取りたて、その金でAcropolisにParthenon神殿を建立した。

 ペルシャの脅威が消えるとPolisは互いに覇権を競う内戦に突入し、Athinaiを破ったSparta、それを征服したThebaiテーベが繁栄した。東北からMacedoniaが初めて常備軍を持ってギリシャを統一し、336 BCに即位したAlexandros大王は印度に至る大帝国を築いたが、2c BCから勃興したRoma帝国が146 BCにギリシャを支配し、しかしAthinaiは文化都市として栄えた。やがてRoma帝国が東西に二分され、ギリシャ文化は東Roma帝国に受け継がれたが、ギリシャ国土は長らく辺境の地に甘んじた。

 下って13c ADに聖地奪還の名目で侵略した十字軍と、支援したVeneziaによってギリシャは領有された。15c ADにはOttoman Turkeyオスマントルコの支配下に入った。1820 ADに欧州列強の支援で独立戦争を起こして志を遂げたが、縁のないBayernから来た王様が即位した。狭義のMacedoniaはギリシャ北東部だが、版図が広がった際の広義のMacedoniaが、列強の都合で分割され今のギリシャとBulgaria, Yugoslaviaに入り、後者が今独立してMacedoniaという国になった。第2次大戦中は伊に、次いで独に占領され、終戦後は王党派と共産主義者が血みどろの内戦を戦った。

 Pythagoras, Socrates, Plato, Archimedesなどの学者を輩出したのは6-3c BCの各地Polisであった。Polisの段階では栄え、全市民参加の戦争にも強かったギリシャだが、統一国家で職業軍人から成る軍隊を維持訓練した時代に遅れ、他国支配の辺境の地として虐げられた。その成り行きで西欧の工業化にも遅れをとった。その間歴史上も地理的にも観光産業上も伊・独との関係が極めて深い。イタリアとギリシャは関係が薄いような誤解を持っていたが、海続きの隣国であることに改めて気付いた。またエーゲ海の海洋国ギリシャは、労働吸収余力のない国内から世界に雄飛する船乗りの国だった。日本に来航した彫りの深い男性が日本女性を連れ帰ることも多かったらしい。ギリシャの片鱗がやっと理解できた。   以上