元原研の研究者で原研労組委員長だった舘野淳中央大教授の、福島第一原発の事故に関する講演を6月下旬に拝聴し「うつせみ」でご報告した。席上1999年に教授が朝日新聞から出版した「廃炉時代が始まった」という本が回覧された。「まだ売れていたのに政治的圧力で廃刊にされてしまった」という話だった。Amazon上で中古本が\20kの貴重本になっていたので諦めた。最近友人三好彰氏が「復刻版が出ました」と知らせて下さったので、Amazonから購入した。A5判の原本の中古は\5kに値下げとなっていたが、復刻版はリーダーズノート鰍ゥら新書判で\966で出版されていた。
立派な本だった。廃刊にされたという位だから、原発反対原理主義に毒された本かも知れないと危惧していたが、そうではなく、原発の長所短所に科学的に向き合い、しかし原発の危険性指摘に重点を置いた本だった。結論は、(1)初期の原子炉は危険性が高い、(2)地震地帯の原発はリスクが大きい、(3)運用者がしっかりしていない原発も同じ、故にこういう原発は廃炉にして、「安全性の高い最新型原子炉に代えよ」と言っている。(3)の具体論は無いが、(1)(2)に基づき廃炉候補を挙げている。その筆頭に(1)の理由で福島第一原発、(2)の理由で浜岡原発を挙げている。「津波」の「ツ」の字も本書には出て来ない。福島第一原発は筆者が危惧した故障でもなく、予想外の大地震でもなく、想定外の大津波にやられた。地震学者も予見出来なかった天災だから仕方ないけれども。
原発の重大事故の可能性(MTBF)は1万年に1回だという。世界で300基なら30年に1回、日本で50基なら200年に1回だ。その原因の筆頭は、福島で起こった「電源喪失」だと明記してあった。それなのに国の安全基準には「長時間の電源喪失は考慮しなくてよい」と明記されていて、東電の操作マニュアルには電源喪失の対応は無かったらしい。信じ難い欠陥だ。
本書は日本の各原発の大小の事故を列挙し解説する。一番多いのは金属疲労によるパイプ等の破損だが、次いで人為事故つまりミスオペが意外に多い。逆に定期点検後のバルブの明け忘れであわやの大事故になる所だったのを、操作員の手動操作で難を逃れたケースもあった。思えば、Three MilesもChernobylも操作ミスが無ければ起こらなかった。福島第一でも、電源喪失後直ちに消防車で海水を入れなかった判断ミスが大きかった。
本書はまた科学者の鳴らす警鐘を官僚が如何に激しく弾圧したかを詳述している。著者の出世も止まったとご自身から講演で伺った。表紙カバーに曰く「異論を排除して開発を推進する産学官の癒着体制、ハイリスク・テクノロジーでありながら、その対応を怠って来た当事者や規制当局、つぎつぎに起きる事故・故障、そして機会さえあればそれらを隠してしまう隠蔽体質、日本の原子力界はこうしたことを反省することなく、ひたすら「福島への道」を急ぎつつあった。」
本書を読んで一つ分かったことがある。産学官が癒着した原子力村が「嘘つき」で、原発反対原理主義者が「駄々っ子」で、最適解への議論をしない大人気ない態度が事故の根底にあると私は思う。そうなってしまった必然性を、今回本書から(書いてないが)読み取れたと思った。
原発のメリットは判り易いが、原発のリスクを(私は理解したが)人々が理解するのは無理と本書で悟った。人間は不確定要素があると、立場によって異なる安全側の極端を採る。「売価は70円台で折衝して定める」という売買契約の原案があると、売り手は70円で、買い手は79円で商売になるか否かを強く意識する。原発のリスクが理解出来ない人々は、立場によって安全神話の「嘘つき」と危険神話の「駄々っ子」に分かれる。
それを補うのが専門家とマスコミだが、日本では専門家は常に理科系と文科系に分かれ、リスクを理解する理科系と、メリットを理解する文科系とは立場を共有しない。たとえ両方を理解する人が居ても、社会がその人をどちらかに分類して両生類を許容しない。マスコミは文科系で、終身雇用制が原因だと思うが、英語報道に見られる優れた科学解説は期待出来ない。こういう社会構造が「嘘つき」と「駄々っ子」の不毛の対立を生んでいるのだと、本書のお陰で初めて悟った。 以上