例年になく今年はHalloweenが盛んで、渋谷駅前では歩行者天国にして仮装の若者に楽しんで貰ったという。それをTVで見て、待てよ、俺はHalloweenって何だか知らないなあと気付いた。こういう時はWikiを引くに限る。日本語のWikiにも詳しい記述があったが、英語のWikiはもっと詳しい。電車で読もうと思ってWordで印刷したら28頁の大冊になった。
Celt=ケルト文化やそのIreland/Scotland版のGael=ゲール文化では、10月末が大晦日で11月から新年だったそうだ。Ireland/Scotlandで行われた夏の終わりの祭 Samheinがケルト人の10月末の収穫祭の伝統になったという。日本の秋の例祭だ。そこにキリスト教が入ってきて、新年の最初の3日間はAll Hallows' Dayになった。1556年の文献にこの名があるという。Hallowという単語を恥ずかしながら知らなかったが、辞書を引けばちゃんと「聖人」と出ていた。この3日間は聖人・殉教者・今は亡き信心深い人々を想うお祭りになった。日本のお盆だろう。昔は一日は日暮から始まったそうで、従って西洋のお祭りには必ず前夜祭がある。つまり10月31日が All Hallows' Eveだ。EveをScotlandではEvenと言ったのがEenに化けて、Halloweenになったという。"v"の痕跡を留めてHallowe'en と綴る場合もあるそうだ。これらの名は1745年に出てくるとのこと。
Halloweenの行事が列挙されている。一部の国に限られるものもある。●Trick-or-Treat=「いたずらされるのが嫌なら供応しろ」と子供がキャンディーなどを貰って歩く。●仮装パーティ。●飾り付け。●南瓜でJack-o-lanternと呼ばれる灯を作る。●焚火。●Apple Bobbing。水に浮かべた小リンゴに噛み付いて取り出す。●占いゲーム。●悪戯。●Ghostになる。●怖い話。●ホラー映画。●教会の礼拝。●墓にローソク。●肉を食べない。●リンゴを食べる。●Potato Pancakeを食べる。●Soul Cakeと呼ばれる小さな丸いケーキ(これがTrick-or-treatの元になったと)。
Celt文化の暦の10月末は、現代暦のどの季節か知らぬが、太陽に恵まれた収穫の期間が終わり、北欧の暗い季節が始まる切り替えの時期とされた。連想で、この世とあの世の境界が薄くなり、霊や妖精や死者の魂が活発化する時期とも見なされた。冬期に人間と家畜が無事に生き延びるためには、これらを鎮める必要があると考えられていて、屋外に食物や飲み物、収穫物などを供えた。平安時代の怨霊だろう。正餐のテーブルにも暖炉の前にも霊の席を設けた。ロウソクが灯され祈りが捧げられてから飲食と占いゲームが行われた。焚火の炎も灰も清める働きがあるとされた。
遅くても16世紀には、Ireland/Scotlandのこの祭では仮装が行われた。仮装者が霊として家々を廻り、韻文や歌を届けて供え物の食料を受けた。南Irelandでは男が白ロバに扮し、青少年を引き連れて家々を巡った。Scotlandでは青少年は仮面を付けるか聖なる焚火の灰でガンクロにして、歓迎されないと悪戯をするぞと脅した。遅くとも18世紀のIreland/Scotlandには、また20世紀にはEnglandでも、仮装した悪霊が悪戯をして歩いた。仮装者を照らすために、手提げランプや悪霊のように彫った蝋燭台が使われた。これがカボチャのJack-o-lanternになって行った。
一方キリスト教では、All Hallows' Dayが8世紀から主として春に行われて来たが、835年に法王の命により上記 Samhein に合わせて11月1日とした。その前夜には、キリスト者は墓に花と蝋燭を供え、Soul Cakeを配った。貧者や子供たちは家々を廻り死者のために祈りSoul Cakeを受け取った。上記のCelt文化の慣習をキリスト教が取り入れたという説と、独立に発達したという説があるとのこと。いずれにせよよく似ている。
独立前後の18世紀の米国では、英国教会やカトリックの一部の教会がHalloweenを祝い、プロテスタントは一般にそれを激しく非難したそうだ。Ireland/Scotlandから大量の移民がやってきた19世紀になって初めて、移民社会でHalloweenは大きな祭になった。それが一般に広がり、米国全体で祝うようになったのは20世紀初めだったという。
例によって日本では、Halloweenの歴史も宗教も知らず、仮装で騒ぐ日になった。Celt人が渋谷の交差点を見たら驚くだろうな。 以上