鳩山前首相が国連総会で演説した時、下手だが通じる英語で話せる長身の首相を誇らしく思った。その後、鳩山氏は善意で好感の人だが、行動は恐ろしく下手だと知った。最近の仲介騒ぎがそれを上塗りしている。
鳩山氏は、突如菅支持から小沢支持に乗り換えた理由を「政権交代を実現し私を首相にしてくれた小沢氏の恩に報いる」「無条件で自由党を民主党に合流して呉れた小沢氏を支援するのが大義」とした。それは義理堅い美徳だが、私情だろう!!「国家国民のために私情に背く行動をとる」格好付けが必要だ。本音では私情で小沢氏を応援しても構わないが、それを公に言うと男を下げる。そんな私情はひた隠しにして「小沢氏を支援するのは国家国民のため」「政治信条のため」と言わねばならなかった場面だったと思う。ただ鳩山氏の気持ちはよく判る。本音で語る「良い人」だ。好感が持てる。だが政治家・リーダとしては落第だ。
英紙The Economistsは民主党党首選のニュースで鳩山氏を"Notoriously fickle Mr. Hatoyama"と書いた。読者意見(Web上で読者意見を記載できる)の中には「小沢氏でも菅氏でも"Fickleness the Great"=「気まぐれ大王」よりはまし」とあった。Verdiの「女心の唄」の冒頭は伊語で"La donna e mobile."だが、英詩は"Woman is fickle."だ。日本語では「風の中の羽のようにいつも変わる女心」と歌う。上記記事には「小沢氏は鳩山氏に外務大臣を約束して支援を取り付けたと日本の政治ジャーナリストが言った」という一文もあった。気まぐれ外交は勘弁して貰いたい。
立候補前日の小沢氏は「今日の菅氏との会談は鳩山氏の顔を立てるだけの目的だ。実質的には意味が無い」と言って会談に臨んだと報道された。菅氏も同様だったろう。鳩山氏は仲介の役を果たしていない。仲介に実質的に応じなかった小沢・菅両氏、またはその一方を「残念です」という表現で鳩山氏は非難した。私に言わせれば「仲介に応じなかった」ことが残念なのではなく「仲介できなかった」鳩山氏自身を残念に思うべきだ。
折衝事は何でもそうだが、仲介という二面的な折衝も、関係者の意見や立場をよく理解して、どこに妥協合意点が有り得るかを洞察し、そこに誘い込む戦術がなければならない。妥協合意点が無ければ舞台を拡大するか縮小するかして(事業の例で言えば、売買契約で駄目なら拡大して事業提携契約、縮小して共同販促契約とか)妥協合意点を創出しなければならない。それが折衝というものであり、仲介という折衝も同じだ。鳩山氏の報道にはそれが見られなかった。なるほど「トロイカ体制」を提示はした。しかし具体的に定義しなかった。だから大きな不確定性が残った。
折衝当事者は不確定性の中でそれぞれの立場での最悪条件を恐れる。売価80円台というと、売り手は80円では不採算になると心配し、買い手は89円では高過ぎると危惧する。だから合意が困難な時に提案をより具体化して不確定性を縮減すると、両者が危惧する最悪条件も近寄り合意に至れるという経緯を何十回も私は経験した。例えば売価83円〜87円と提示すれば、売り手は最悪83円なら妥協可能と考え、買い手も最悪87円ならやれると考えるから合意が得られる。具体化による合意形成は折衝事の定石だが、「トロイカ体制」にはこういう詰めが無かった。広範囲の不確定性の両端を最悪条件として両者が想定するから話は当然まとまらない。「玉虫色の決着」はよく使われる戦術だが、上記の例では「80円台」では無理で「83円〜87円」まで詰めて初めて玉虫色になる。察するに鳩山氏はこういうギリギリの折衝をあまり経験しておらず折衝が得意ではないのか。
但し一流の仲介者が当たっても小沢氏と菅氏の仲介は無理だったかも知れない。小沢氏は全てが自分の思い通りに動かないと満足しない人だ。菅氏は小沢氏の政治手法は古いと考え、西郷隆盛になぞらえたと報道された。菅氏は大久保利通で、古い勢力を遠ざけようとしている。1つの党では共存出来ない可能性が高い。とすれば2つに割って連立したらいい。
普天間問題もCO2-25%も亀井氏に丸めこまれた郵政改悪案も、今回の仲介も、深く考えないで信念の名のもとで気分で行動するFicklenessだったのか。そういう鳩山氏なら共にやれると小沢氏は買ったのだろうが。以上