ALSを病むCambridge大の天才物理学教授Stephen Hawkingの「天地創造に神の手は要らない」という趣旨の一般向け新著と聞いて飛び付いた。
The Grand Design, S. Hawking & L. Mlodinow, Bantam Books, 2010
宗教界の反発にHawking教授は「神は否定しない。神を煩わさずとも宇宙創造は説明できるというだけ」と言い訳をしたとニュースで見た。
Hawkingの名の下にやや小さい活字で名を連ねた Leonard Mlodinowがこの米語の本の真の著者だと私は確信した。Caltech大の物理学教授だが、Star Trekの一部の映画脚本を書いたと。彼が全文を書いてHawking教授に監修・添削を求めたのではないか。とすれば商業的にも良い判断だ。
冒頭に3つの設問がある。(1)Why is there something rather than nothing ? この世はなぜ空虚ではなく色々なものがあるのか? (2)Why do we exist ? なぜ人間は存在するのか? (3)Why this particular set of laws and not some others ? なぜ物理の自然法則はこうなっているのか? これらは古来哲学の領域だったが、「哲学は死んだ」"Philosophy is dead." と断じ、それらに科学で答える科学的哲学書だった。
古代ギリシャなどの古代文明以来最近まで、これら設問への答は神だったが、神を煩わす必要は無いというのが本書の趣旨だ。Kepler, Galileo, Descartes(デカルト), Newton などすら、神の定めた自然法則を発見するのが科学だとしてきた。惑星軌道に関するKeplerの法則は微積分の定理だと思っていたが、Keplerは、惑星には心と感覚があって自らその法則を守っているとした。漫才の「爆笑問題」の2人が各大学の研究室を訪ねるテレビ番組で、太田光が京大の天文学教授に「金星だって自分の意思で軌道を選んでいるかも知れない」と言って教授を呆れさせた。Keplerの惑星の自由意思説を今回初めて知って私は、太田光に敬意を抱いた。
1999年に初めて炭素原子60個の塊で実験したのだが、電子でも同じだ。電子流の先に2つのスリットA, Bを開けた板を置くと、その先のスクリーンに干渉縞の山谷が出来る。電子は粒子でも波でもあり、波動性により干渉縞が出来ると習った。ところが電子を1個ずつ個別に発射しても電子は「谷」には着地せず、A, Bの一方を塞ぐと「谷」にも着地するようになるという。高名なCaltech大物理学教授Feynmanによれば電子は、A経由、B経由、ABを二三度出入りしてから着地などあらゆる経路を探る。特定の着地点に至る全ての経路の確率を重み加算した雲のような経路と加算確率が、その着地点への経路であり、着地の確率であるとする。経路長で位相が変わるので、加算すると「谷」に着陸する確率は相殺される。宇宙創造も同様で、唯一の過去があるのではなく、我が宇宙に落ち着く無数の過去の重み加算である。我が宇宙とは違う自然法則の宇宙に行き着く過去も無数にあり得るから、宇宙は無数にありUniverseでなくMultiverseだという。
筆者は、M理論が宇宙の統一理論だと確信する。Mercator図法の世界地図のように、局所的には正しい「ひも理論」が多数並立して全体像を構成しているという。統一理論という1つの理論があるはずはなく、接続部が整合する複数の理論があってこそそれらを重み加算して我が宇宙が理解できるという主張は、第一線の物理学者にも啓示かも知れない。
「運も実力のうち」という意味の「幸運」を英語ではSerendipityという。如何に稀なSerendipityに恵まれて今日人間があるかを筆者は熱く語る。例えば太陽が2割小さかったら地球は火星より寒くなり、人は生まれない。地球の軌道は円に近いが、火星ほど偏心していたら温度差が過大で人は住めない。原子核をまとめている「強い力」が0.5%違っていたら炭素原子や酸素原子は成り立たなかったと。このようなSerendipityは神の選択だと考えたくなるが、無数の相異なる宇宙が出来て無数の星と惑星が出来た中には確率的に地球の環境が生まれても不思議ではないとする。
M理論によれは、物質の+エネルギーと重力の−エネルギーが量子力学的に無から生まれるから設問(1)の宇宙誕生は説明できる。無数の多種類の宇宙が出来た中に偶々地球環境があっても不思議ではないから、M理論が設問(2)(3)の答だと言う。ただこの結語はやや竜頭蛇尾だった。 以上