平安時代の日本語、いわば平安語(本稿限りの造語)を初めて聞いた。奥の細道をCDで聞いたという「うつせみ」を見て、東芝OBの秀才三好彰氏(以下M氏)が、平安語で読み上げた源氏物語のCDを送ってくれた。国語学者金田一春彦と池田弥三郎が監修し平安語で夕鶴と須磨の一部を読み上げた学術的LPを40年前に入手され、最近CDに変換されたという。平安語を聞けただけでも驚いたが、M氏が優秀な新入社員技術者だった40年前に高価だったであろうこのようなLPを買い求めていたことに大いに驚いた。
源氏物語をそれも平安語で聞いて分かる訳はないから、岩波文庫の原文と角川文庫の与謝野晶子訳を入手した。CDは夕鶴を淋しい隠れ家に連れ出して一夜を過ごすうちに物の怪に襲われて亡くなってしまう下りと、失脚し失意のうちに須磨に都落ちした源氏のつれずれの部分であった。まず現代語訳を読んで物語を理解した上で、原文を見ながらCDを聞いた。平安語は単語も発音も現代語とは大きく異なり、外国語のようだった。源氏物語は平安時代のど真ん中、西暦1000年頃に創作された。1008年にその存在が初めて文献(紫式部日記)に表れたので、今年は源氏物語千年紀事業が京都中心に行われているという。CDは創作の頃の発音を国語学から復元している。京都出身のM氏からは「関西アクセントには聞こえない」とのコメントが付いてきたが、私には、関西アクセント、無アクセント、および高低差が小さい中間の混合に聞こえた。現代関西人は1音節の単語を引き伸ばして「世」を「ヨー」というが、それが平安語のCDでも聞き取れる。
万葉集時代の日本語には8つの母音があったことが知られているが、CDは平安時代だから既にアイウエオの5母音である。平安時代までにそれぞれイ・エ・オに収斂した万葉時代の母音が2種類ずつあったのだ。中舌母音ないし独仏語に見られるような円唇母音ではなかったかと推察されている。万葉人はGoetheを正しく発音出来たのかも知れない。
CDでは「恥じらひて」を「ファジラフィテ」と読む。今日のハ行は元々パ行p(だから濁音がバ行b)だったが奈良時代にファ行に変わった。平安語ではハ行の文字はファ行で読む。今日のハ行h(フ以外)の発音に変わったのは江戸時代だ。上海が「シャンハイ」であるように「海」の音は「ハイ」だったが、漢字が渡来した日本にはハという発音が無かったのでカで代用し「海」は「カイ」と読んだ。鎌倉時代のジンギスカン/ジンギスハンも同様だ。最近は「英学史学会」の顔になられたらしいM氏は、19世紀半ばに長崎に来航した英国船の航海記の単語集に、motherは日本語ではfafa、toothはha、fireはfiまたはhiとあるのを発見されたという。唇を細くするファ行だが、英人はMt. Fujiと同様にfで近似したのだ。
なお語中または語尾のハ行が、平安中期から鎌倉時代にかけてファ行からワ行に変化し、上述の「恥じらひて」を鎌倉時代には「ファジラウィテ」と読んだ。CDはそれ以前の姿を伝えている。またCDでは「ゐ・ゑ・を」をウィウェウォと発音している。これは江戸時代にイエオとなった。しかしヤ行はCDでも既にヤイユエヨと発音していて、昔あったはずのイィイェの俤は無い。現代仮名遣いでは助詞の「は・へ・を」だけを歴史的仮名遣いのまま残し「ワ・エ・オ」と読む。なぜ歴史的仮名遣いをここだけ残したのかは謎だが、なぜそう読むかは上記数行の理由による。つまり「へ」はペ→フェ→ウェ→エと変化した長い歴史を経て今日に至る。
CDではタ行をタティトゥテトと発音する。「小さき」は「ティフィサキ」だ。チ、ツと発音するようになったのは浅学にして何時かは知らぬが後の時代のことだ。だからトゥの濁音はドゥで、「つれづれ」は「トゥレドゥレ」である。しかし「し」はスィではなくシと発音している。小学校で「蝶々」を「てふてふ」と習って不思議に思った。平安語では実際「テフテフ」(ヒラヒラする感じがするではないか)という発音通りの仮名遣いだったが、後の世に発音が「チョウチョウ」に変わった。同様に「入道」は「ニフダウ」、「申す」は「マウス」だ。神主が祝詞で盛んに「かしこみかしこみマウスーー」と言うのはこれだ。
M氏のタイムマシンで千年ほど遡った心地がした。 以上