見たぞ、見たぞ!! 熱海でヒマラヤ桜が満開だった。4月20日の「うつせみ ヒマラヤ桜」で、熱海からJR伊東線で2つ目の伊豆多賀駅下車の静岡県立熱海高校の直下に、ネパール前国王から贈られたヒマラヤ桜があり、毎年11月末に咲くことと、桜は本来秋咲きだったという学説を知ったことをご紹介した。以来是非その花を見たいものだと思ってきた。
伊豆は伊東市の大室山の西麓にある「桜の里」は多様な桜の品種を揃えていて、9月から4月まで何時来ても桜の花が見られると豪語している。確かに今日ただ今も「十月桜」の名残の花があり、「三波川冬桜」が咲いている。ただ春の桜に匹敵するものではなく、花咲爺がパラパラと灰を撒いた後の花のようだ。しかし多賀のヒマラヤ桜はそんなもんじゃないと本に書いてあったから、興味津々だった訳だ。10月末には下見もした。多賀の海岸線には砂防林の名残と見える松並木が百米ほど残っていて、その熱海寄りの端から熱海高校に上る細い道がある。車で上って身動きが取れないと嫌だから、海岸に車を止めて徒歩で上った。ワイフが「私はウチで休憩」と宣言したので独り身で身軽だった。あえぎあえぎ標高2百米ほど急坂を登ると、上には売れ残った海の見える分譲地などもあって意外に開けていたから、車でも大丈夫だった。国王の桜だからさぞ大事にされているかと思いきや、細道のはずれに誰に注目されるでもない立ち木3本と看板があるだけだった。10月末だから既に落葉して枯れ木同然だったが、特に花芽が大きい訳でもなく本当に1ヵ月後に咲くの?と疑問に思った。
ネパールの前国王が皇太子の時東京大学に留学しておられ、伊東に花見に来られた際、熱海植物友の会が桜と梅の種子を贈った返礼に、帰国後1968年に、ヒマラヤ桜の種子900粒を会に寄贈されたそうだ。それから60本の苗がとれて市内のあちこちに移植されたが、気候温暖なネパールの箱入り娘の、暑さにも寒さにも弱く風にも折れやすい性質が災いしてこの3本しか残らなかった。確かにこの場所は南斜面で日当たりは良いが、両側に尾根がせり出している急斜面の窪地だから風も当たりにくい。
11月末が実は忙しくて立ち寄ることができず、今を逃したらもう今年は駄目と判断したこの週末に、再びワイフは休養を宣言したので、独りなら車より電車がいいかと小田急ロマンスカーで来た。下り列車が伊豆多賀駅を出て1-2分後の山側、トンネルと部落を過ぎた後の山の中に仰角30度で20m先に一瞬その桜が見える。線路上を歩ければ一番近い。今は丸裸の染井吉野の大木に囲まれた標高200mほどの伊豆多賀駅を出れば、目前に青い相模湾と初島が見える。駅前に30台ほどバイクが置いてある。そうか、この高台の駅まで自転車では無理だから皆バイクで上って来るんだ。ふと前を行く一人の女子高生に気付いた。彼女は熱海高校への近道を行くに違いないと後をつけることにした。服装がダラシない。熱海高校は落ちこぼれ高校なのだろうか。彼女は細い階段道に入り駆け下った。私も遅れまいと走る。何だ、彼女はやはり海岸まで下りてしまった。近道が無いなら私だって道は分かる。私が再びあえぎつつ急坂を登るうちに不良女子高生は見えなくなってしまった。不良でも若さには敵わない。見覚えのある細道で中年夫婦とすれちがって挨拶を交わした。ご主人と目が合った時どちらからともなくニヤッと笑った。その心は「あなたも物好きですねえ」だ。
いや見事に咲いていた。薄ピンクの一重の5弁の花が密集している。しかも若葉が混じっている。10月末には丸裸だったからそれ以降に葉が花と一緒に出たのだ。つまり葉は12月から10月に落葉するまで緑を保つ。もし花が白かったら春の大島桜、もし葉がもっと赤く多かったら花時の山桜、といった風情をしばし見尽くした。35年の幹は太く力強く見えた。
ヒマラヤでも高地に適応したヒマラヤ緋桜とヒマラヤ高嶺桜は、寒くなると落葉して冬眠に入り、春に開花するそうだ。学者は、桜は元々は秋咲きだったが、冬眠を覚えたお陰で高地にも適応し、日本の冬にも対応できるように進化したのだという。何百万年もかかってヒマラヤから日本にやってきて日本の代表的な花となった桜の歴史を思った。口惜しがるに違いないワイフと一緒に、来年以降何度も訪れそうな予感がある。 以上