東京藝術大学学長の平山郁夫画伯の絵が嫌いだという人は居ないだろう。写実的ながら幻想的な日本画を何枚か思い出す人も多いはずだ。ワイフも私も実は画伯の絵が大好きだ。この週末甲斐小泉でその平山画伯に運良く出会い、著書にサインを頂戴した。ツイテル、ツイテル。
八ヶ岳南麓の大泉村は自然派の人にはかなり有名だから、JR小海線甲斐大泉駅は比較的知られている。しかしその西側の無人の隣駅甲斐小泉駅を知る人は少ない。山に降った雨が火山灰で濾過され湧いてくる名水の泉が八ヶ岳山麓には多いが、大泉の名の源の泉は、けしからんことに東京商船大の保養所の敷地に入ってしまってたため好奇心旺盛な私も見たことが無い。小泉の名は「三分一湧水」の泉から来ている。駅のすぐ下にあるこの泉にはいつもこんこんと綺麗な水が湧いている。それを三つの部落に平等に分ける石組みがあって、三方向に勢い良く流れ出して行く。
7月20日日曜日は、雨の予報にも拘わらず朝日が差してきた中、甲斐小泉駅の周辺をワイフと久しぶりに探索した。民家を改造したアジア民芸品店は変わってない。備前焼の巨匠と提携した店「緋彩」が森の中にある。商売上手な女性主人の応対に載せられてまた皿を買ってしまった。
駅の近くで「インドネシアの更紗と工芸品」という看板を見かけて急遽立ち寄った。何時の間にか四階建ての「八ヶ岳シルクロードミュージアム」が建っていた。ガムラン音楽とインドネシア・ダンスのショーがあるとかで駐車場は使えなかったが、田舎のことだから駐車は何とでもなる。更紗(さらさ)ではインド更紗とインドネシア更紗が有名で、木綿に手描きまたは型押しで余白無く模様で埋め尽くした布だ。インドネシア更紗Batikは茶色の色使いが特徴だ。腰巻がほとんどだが、色も絵柄も素晴らしい更紗が数多く展示されていた。芸術的な更紗は最近はインドネシアでも作れる人が少なくなりつつあって、貴重なコレクションだと聞いた。4階だけは更紗ではなく、絵の展示室になっていた。「あっ、これは平山郁夫の絵だ」と、ここで初めてシルクロード→平山郁夫の連想が働いた。本来は平山郁夫画伯の美術館だったのだ。ミュージアムショップで画伯の画集を見つけて早速購入した。伺うと、葉山に画伯が創立した「シルクロード研究所」がこのミュージアムを運営しているとのこと。
そろそろショーが始まるかと表に出てみると、驚いたことにテレビで見慣れた平山郁夫画伯が目の前でパイプ椅子にかけて開演を待っておられた。急いでワイフを呼びとめ、ハンドバッグからペンを出してもらい、買ったばかりの画集にサインを貰った。「こちらには度々?」と伺うと「いや年に1-2回ですよ。良かったらショーを見ていって下さい」とのお誘いだった。ガムラン楽団が既にスタンバイしている所に、更紗のダンス衣装で着飾った若者のダンサと、金更紗がまぶしい女性ダンサ2人がやってきた。女性の顔つきが少し異国風だったが腕の肌は白く、日本人かインドネシア人が分からなかったが、後で聞いたところではジャカルタから呼び寄せた有名なダンサだった。折悪しく降ってきた驟雨の中でドラムの音がおかしくなったが、音楽もダンスもずぶ濡れで強行された。
ふと見ると画伯のそばに奥様らしい方が寄り添っている。芸大の日本画科同級生で首席で卒業したが、平山画伯と結婚して筆を折ったという逸話を思い出した。よく見ると、周辺にお子さんやお孫さんらしい人も大勢居て、「おじいちゃん」を中心に平山一家が高原の夏休みに来た様子だった。出入りを見ると、どうもミュージアムの隣が平山家の別荘らしい。土地を大きく買って、別荘とミュージアムを建てたに違いない。
ワイフの傘に飛び込んできたご近所の老婦人がワイフに色々話してくれたおかげで謎が解けた。ダンス衣装の男性がこの老婦人の息子さんで、インドネシアでダンスを学び、更紗展とショーを企画して有名ダンサを招聘したそうだ。その更紗展の場所として近くのミュージアムを借り、その開演を機に平山一家が別荘にやってきたということらしい。
帰宅して画集を改めて眺めると、期待に違わぬ素晴らしい内容だった。それにサインまである。私も少し高尚な人間になれたようだ。 以上