世界一壮大な滝と言われる南米Iguacuの滝を見てきた。Rio Amazonに次いで南米で2番目に長い川Rio ParanaはBrazilとArgentinaの国境を南行する。その支流の一つにRio Iguacuがあり、Brazilを西に流れて、Brazil-Argentina-Paraguayの国境でRio Paranaに注ぐ。その合流点から23km上流のRio Iguacuは、Brazil-Argentina国境を北に流れるが、そこで花崗岩の台地に当たって幅広く広がり、一気に絶壁の谷間に落ち込むのがIguacuの滝だ。Brazil側のポルトガル語ではIguacu(cの下に尻尾)、Argentina側のスペイン語ではIguazu(最後のuの上にストローク)、英語でIguassuという。原住民の言葉でGreat Waterの意味だそうだ。地形的には花崗岩のほぼ平らな台地を平面図上でU字型に掘り込んだ形になっているのだが、北東のBrazil側が少し高いために水は北東つまりU字の右上の部分には来ず、U字の右下の部分だけが滝になっている。西側つまりU字の左半分はArgentina側で、ほぼ全面にわたって滝になっている。だから滝は釣り針型だと言える。その釣り針を直線に伸ばすと全長2.7kmになり、Niagaraの3倍と威張っていた。滝の落差が60-82mで、これもNiagaraより30m高いという。一番の圧巻は南端のU字の下部に当たる馬蹄形の滝で、Garganta del Diablo(悪魔の喉)と名付けられている。ここから北西のArgentina側には断続的に滝が続き、それぞれに名が付いている。Adan y Evaつまりアダムとイヴと呼ばれる滝は、突き出た岩のために流れが真っ二つに割れて同様な滝が二つ落ちているのでそう呼ばれるのだろうか。Bozzettiと名付けられた部分は鼻先という意味かも知れない。各所に観光用の遊歩道が巡らされいて、Circuito巡回路と呼ばれている。
我々は今回Brazil側のホテルに深夜に到着して1:50amに寝たのだが、早い朝食を済ませて7:30amにはバスで出発した。まずArgentina側に渡り、軽便鉄道で南下し、桟橋のように川の上に作られた遊歩道を1kmも歩いて「悪魔の喉」の上縁に達した。そこで初めて名の由来が分かった。膨大な量の水が轟音を立てて足元から馬蹄形の谷に流れ込み、全てのものを飲み込む喉のように見えた。群馬県の「吹割の滝」をご存知の方はその大型と思えば分かりやすい。水しぶきが風で吹き上げられて我々の上に注ぎ、なかなか写真が撮れないうちにビショ濡れになった。再び軽便鉄道で北に戻り、遊歩道を歩いてBozzettiの滝の上縁からAdan y Evaなどの滝が緑に映える美観を鑑賞した。次にヘリコプタに乗った。空からは箱庭のように見える滝の全体像に、今朝見聞きした個々の滝の轟音と水量を当てはめて頭の中で合成して初めて、この滝の壮大さを実感した。
昼食をテキパキと済ませ、出発までに30分余り時間ができたので、私はホテルの前から始まるCircuito Brasileno(Brazil側遊歩道)を小走りで、川の対岸に見える滝の北端から南端までをタペストリーのように見ながら往復した。個々の滝を見るにはArgentina側がよく、全体はBrazil側からがよいが、それでも一目で全体像を見る事は出来ない。午後のコースはボートからの滝見物だ。"Wet Boat"と"Dry Boat"のどちらかを選ぶことになり、若干しぶきが掛かっても近くから見たい私共は前者を選んだ。確かに水面から見上げる滝はまた格別の迫力だ。記録写真としては良い写真が撮れたが、水しぶきが濃くて芸術写真にはならない。「覚悟はいいか?」と言うからもっと近付いてもいいかという意味だと思っていたら、ボートは滝の真下に入ったり激流にわざと飛び込んで水をかぶったり水遊びを始めた。"Wet"とはそういう意味だったのかと気付く頃には、全身バケツで何杯も水をかぶったようになり、メモ用紙と名刺が全部駄目になった。
夕方は、先ほど私が独りでやってきたBrazil側遊歩道の先端にある展望台にエレベータで下りて、「悪魔の喉」を中間の高さから真横に眺めた。水しぶきで霞む喉は深かった。バスでホテルに帰るか歩くかと問われたワイフは歩くというので、日暮れと競いつつ滝のパノラマを眺めながら遊歩道をホテルに帰りついた時に、真っ赤な太陽が滝の上の平坦な台地の森に沈んだ。金と時間を掛けただけの見物ができたという満足感に支えられて、翌朝は3:30amに起床して船を追いかける飛行機に乗った。 以上