先週米国滞在中にイラク戦争の開戦を迎えてしまった。こうなる確率が徐々に高まってきたことは感じていたが、航空券は予約してしまったし前々からの約束もあるし、開戦直前は最も安全な時期、開戦後も日米では旅行・旅程には支障あるまい、と常識で判断しての強行だったが、その判断は幸い正しかった。
しかし予想範囲での大変さはあった。San Jose空港での入力審査は今まで掘っ立て小屋だったが、今回立派な国際ターミナルが出来ていた。ところが米国旅券で入国する人は従来通りスイスイだったが、外国旅券の人は一人一人5分以上の口頭試問があり、長蛇の列がなかなか進まなかった。質問の内容は下らなくて、何のために何日までという従来からの質問の他に、どこの会社員か?何をする会社か?名刺を見せろ、帰りの航空券を見せろ、などと、質問の答よりも態度を見ているらしい。多分より詳細な取調べのために別室に連れて行かれたアラブ系と見える人もいた。
成田では預入れ荷物を全数X線検査するだけでなく、手荷物も同時にX線に掛け、不明な影が写ると開けさせられた。米国の空港では従来全数X線を通す設備が無かったが、急遽設置した所が増えた。しかし処理能力が足りないので、預入れ荷物を開錠して並べておけ、順番に通して怪しければ本人立会い無しで中を探る、と言われた。米国時間3月17日夜にBush大統領がテレビ演説で48時間の最後通告を出したのだが、米国の少なくとも金融界の人はそれ以前に3月19日夜の開戦を知っていた。これだから我々素人が株に手出ししても勝てない訳だ。
思えば開戦を開戦国で迎えたのは物心ついて初めてだ。真珠湾攻撃は5歳半の時だったから覚えが無い。ただ海軍文官だった父は、開戦の大見出しの朝日新聞を私に持たせて写真を撮った。その写真がある。一人息子の将来に大きな影響を予感したのであろう。朝鮮戦争の時は高校生で、歳を偽って米軍の航空燃料のドラム缶を転がして運ぶアルバイトをした。しかしこの時も、ベトナム戦争も湾岸戦争も、私は傍観者だった。
第2次大戦中の小学生時代の思い出から、戦争というものは国を挙げての大事という感覚があったのだが、今回イラク戦争の開戦に出会って、米国民が余りにも日常的であることに驚いた。業務にせよ遊びにせよ、全く戦争の影が無かった。勿論CNNは24時間戦争を報道したが、他チャネルでは日常通りドラマやゲームが流れた。もし私がニュースを見なかったら開戦に気付かなかったかも知れない。
考えて見れば、米国は人口の0.1%ほどの志願兵をイラクに送り込んでいるに過ぎない。その家族親族を含めても人口の1%であろう。湾岸戦争の戦死者は百数十名だったが、もし今回も同様なら、マクロに見て戦争の犠牲は軽微と感じる人が米国で多数派を占めたとしても不思議は無いことに気付いた。世界の世論調査の中で、米国民の世論調査だけが突出して戦争に賛成なのはなぜか不思議だったが、このように日常生活にほとんど影響なく、交通事故死に比して格段に少ない戦死者数で、それで9.11事件を賛美した世界で唯一の指導者を倒し、米国に歯向かう危険を世界に一罰百戒で示せるなら、戦争に賛成したくなる気持も理解できる。
イラク国民の抑圧からの解放は理屈であろう。そんなことで米兵を死なせはしない。巷間言われる石油利権も、一部の人の意識に強くあるとしても世論ではない。結局米国はPax Americana=米国の力による世界平和を守り維持することが米国国益と考え、それに反抗するものは許さないということを世界に周知するためにこの戦争を始めたのだと私は思う。それに反対した仏は当然米国では評判が悪い。French FryをFreedom Fryと改名するレストランが現れ、「米国民の血で仏をNaziから救ったのを忘れたのか、賛成しなくても黙っていろ」という新聞投書があった。
日本の一部にある、校内暴力と戦争を同一レベルに置いて反対する人は、教官や警察など秩序維持システムの有無を無視した感情論であり頂けない。世界の警察官の役割を演じようとする米国の努力を多とする気持もある。だが今回の戦争でやはり米国はやり過ぎたと思う。 以上