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うつせみGeneral
2016年 3月18日
            浄土真宗

 京都で少しの時間が出来て、久し振りに西本願寺を訪れた。東西本願寺は浄土真宗の異なる宗派の本山である。浄土真宗は親鸞聖人(1173-1263)が宗祖だ。親鸞聖人は新宗派開宗の意志なく、各地に念仏集団を創設したが、没後弟子達が教えをまとめて開宗し親鸞聖人を宗祖とした。親鸞の廟堂に天皇が本願寺の名を与えたが、迫害で場所を転々とし、秀吉の寄進で1591年現在の西本願寺ができた。東本願寺は、秀吉に隠居させられた前宗主の教如が、秀吉没後家康の後ろ立てで1602年に創建した。

 浄土真宗の「本願」とは、万人を救済するという阿弥陀如来のご意志を言うそうだ。その本願を釈迦如来が説き、法然聖人が説き、それを受けて親鸞聖人が「阿弥陀如来が用意された本願を信仰すれば浄土に往生できる」と説いたのが浄土真宗である。それ以前の天台宗、真言宗、禅宗、日蓮宗などは、修行によって自らを清め高めて悟りに至ることを希求していた。親鸞聖人は天台宗の比叡山で20年間修行したが煩悩を脱することが出来ず、絶望して救世観音にすがって95日目に聖徳太子のお告げを得て、法然聖人の下に入った。法然聖人から本願、すなわち全ての人々に救いを得させようという阿弥陀如来の大きな意志に接し、その布教に務めた。

 戒律を重んじたユダヤ教に対抗して、自分の罪を認めて祈れば救われると説いたキリスト教に似て、難しい修業は衆生には無理で、阿弥陀如来に帰依し南無阿弥陀仏と唱えれば救われると浄土真宗は説く。神がキリストを世に遣わしたように、阿弥陀如来が本願を世に広めるために釈迦如来をこの世に遣わしたと、浄土真宗は言う。神は万人を救済しようと、キリストを十字架に掛けて万人の代わりに償わせたから、それを信じる者の罪は救われると、キリスト教は言う。阿弥陀如来の本願は万人の救済にあり、それを信じて念仏を唱えれば救済されると、浄土真宗は言う。ユダヤ教の厳しい戒律は救済にならないとキリスト教は言い、既成仏教の厳しい修業は不要と浄土真宗は言う。だから共に既成宗教から激しい弾圧を受け、しかし生き延びて来た。但しキリスト教は新しい宗教として独立したのに対して、浄土真宗は既成仏教を否定しつつも仏教の中に留まった。そのため浄土真宗は古来の仏教の経典に本願の根拠を求めている。私はこの部分に論理的な無理を感じている。仏教は誕生以来修業で悟りを得る宗教だったから、その経典から本願を読み取るためには、憲法解釈以上の無理をしなければならない。キリスト教はそんな無理をせず、自ら新約聖書を作り、ユダヤ教の旧約聖書の都合のよい箇所だけつまみ食いをする。

 親鸞聖人は法然聖人の弟子だ。法然聖人からは直接親しく学び、また以下に列挙する7人の高僧の著作から本願を学んだという。西本願寺の売店で購入した次の浄土真宗解説本は、七高僧の業績を紹介する本だった。
はじめて学ぶ七高僧 黒田覚忍 本願寺出版社 2004/3

1.印度の龍樹菩薩(150-250AD頃)。多くの著書を残し大乗仏教の各宗から祖師と仰がれている。自力で修業する難行道と阿弥陀如来にすがる易行道とがあり、凡夫には困難な難行道ではなく易行道によるべしとした。

2.印度の天親菩薩(5世紀初)。阿弥陀仏の浄土に往生を願うことを奨めた。阿弥陀如来の本願に専心する「一心」を説く「浄土論」を著した。

3.中国の曇鸞大師(476生)。印度帰りの西遊記の三蔵法師から浄土論を知り、それを深化した。本願の対象は、悪人を含む一切衆生とした。

4.中国北斉の道綽禅師(562-646)。曇鸞大師の石碑に感動し念仏行者に。自力精進の聖道門ではなく阿弥陀如来に帰依する浄土門に依れと。

5.中国隋の善導大師(613-681)。中国で初めて浄土教創立。悪人も臨終の間際に十回南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に往生できると。

6.大和の国の源信和尚(942-1017)。比叡山の天台宗の僧で、天台宗の立場で善導大師の思想を採り入れた点を法然聖人が高く評価した。

7.源空聖人=法然聖人(1133-1212)。比叡山の天台宗で源信和尚の著作を学び、奈良の浄土教にも接した。43歳の時、経蔵で善導大師の著作に触れて念仏往生に帰依し天台宗から去った。既成仏教から迫害され、法然聖人は土佐へ、弟子の親鸞聖人は越後に流罪になったが後に赦される。以上