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短編随筆シリーズ「うつせみ」より代表作 Photos of flowers, butterflies, stars, trips etc. '96電子出版の句集・業務記録

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うつせみ
2011年 4月13日
          縄文杉を見て来た

 屋久島の縄文杉を見て来た。往復十時間余の登山だった。数年前にワイフと一緒に縄文杉以外の屋久島観光はしたので、今回はワイフの許可を得てElvis PresleyのIt's now or neverの心境で単独でツアに参加した。

 鹿児島空港で初耳のプロペラ機de Havilland Canada社製DHC-8に乗換えて25分で屋久島空港に到着した。昼食を採り着替えて、2度目の白谷雲水峡で3.5時間歩いた。幾つかの屋久杉と自然を探訪し鹿や猿と出会った。宮崎駿が「もののけ姫」の発想を得たという苔むした沢が前回は「もののけの森」だったが、今回は著作権に配慮し「苔むす森」となっていた。

 これは翌日の登山の班分けのための「脚力テスト」だと言われていた。私は平地と下りは速いのだが、ゆっくり上って休憩しないモードが合っている。休憩しつつ速足で上るのは苦手だから、多分最高齢だし、健脚班には入れないで欲しいとガイドにそれとなく言っておいた。

 翌日は3:30amに起きて4amに弁当を食べ、身支度してバスに乗り、標高600mの荒川登山口で3班に分けられた。さすがに上中下とは言わず、3人のガイドが各6-7人の名を呼んだ。私は最後に呼ばれ、ベテランの女性ガイドに付いた。他の2班が出発してからもガイドは注意事項や準備体操を続け、かなり遅れて6:13amに出発した。30代の若夫婦と、40代後半の女性2人、65歳位の男性、それに76歳の私だ。最後に呼ばれたから足弱班だと思っていたのだが健脚班だった。先行2班を瞬く間に抜き去り先頭に立った。バスは1台なので健脚班は時間調整をする。遅く出発し、動植物・地学の説明に時間を取り、余分な観光をし、早目に登山口に戻った。

 屋久島では1970年まで大規模な杉の伐採が行われていた。その杉材運搬のためのトロッコ軌道が、海岸から安房川沿いの小杉谷を上り、終点の大株歩道入口の標高910mまで、驚くほど一定の勾配で敷設されている。荒川登山入口から軌道の枕木を8.1 km行き標高差310mを稼ぐ。説明や休憩とトイレを含めて3時間で登った。前回はトイレは無いと聞いていたが、今回は登山口、中間点、軌道終点にトイレがある。但し5月連休やお盆には1時間待ちと聞いた。軌道沿いの杉の大木は悉く切り株になっていた。途中小杉谷小中学校跡を過ぎる。かっての伐採作業員と家族の部落跡だ。

 我がガイドは無線で後続班の位置を尋ね、先行し過ぎぬよう観光案内に時間を割いた。だから我が班は話題豊富なベテランが担当したんだ、と納得した。頂上を目指す普通の登山ではなく「観光登山」なのだ。

 軌道の終点からは大株歩道の険しい山道となる。凹斜面の空中に渡した手すりの無い木製の急階段、または木の根と花崗岩の山道だ。階段を踏み外すと命に関わり兼ねない場所もある。ガイドが地獄の1・2・3丁目と呼んだ3か所の長い急階段で一挙に標高を百米稼ぐと周囲13.8mのWilson株に到る。秀吉の命で方広寺の柱にするために切り出した大木で、空洞化した切り株の面積が8畳だとか。再発見した米植物学者の名を冠している。

 急斜面を登り続け標高を更に200mほど稼いだ所に周囲11.1mの大王杉があった。縄文杉の再発見までは最大の杉とされていた巨樹に打たれる。

 大王杉から縄文杉までの0.8km、標高差80mは、地図上の予習では平坦な上りと見えたが、実際は10m下って10m行き15m上るような意地悪な道の繰り返しだった。縄文杉も間近な辺りに水場があり、木製の壇が幾つもあって大勢が腰掛けて弁当を使っており、我々も加わった。

 再び歩き始めて間もなく遂に標高1,300mの縄文杉の見学舞台に到達した。初めて見る周囲16.4mの巨樹だ。眺めるだけで生命力を注入された。大株歩道入口から2時間40分、荒川登山口から5時間50分経過していた。

 樹齢7,200年で世界一とも聞いた。昔九大助教授が屋久杉の平均成長率を年輪から割り出し、縄文杉の大きさに掛算した数値だ。後に別の学者が、裏側の洞穴から中央の空洞内壁の木片を取り炭素同位元素で調べたら最大2,170年と出たそうだ。空洞部分も含めて、樹齢は少なくとも2,500年以上、多分3,000年くらいと結論づけた。この方が説得力がある。

 帰路は益々各種の時間調整をして、4時間20分で駐車場に戻った。大分脅かされた割に縄文杉登山は楽勝だった。誰でも登れそうだ。  以上