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短編随筆シリーズ「うつせみ」より代表作 Photos of flowers, butterflies, stars, trips etc. '96電子出版の句集・業務記録

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うつせみ
2006年 2月25日
             柿右衛門

 先日日曜日に栃木県足利市まで片道3時間のドライブをした。天気図を見て強い北風が吹くと予測し、足利工大にある投資先の風力発電機の状態を見に行き、それなりの目的は果たした。電車で独りで行くつもりだったのだが、ワイフが足利にある「有名な栗田美術館」を見たいと言った。聞いたこともなく半信半疑だった私はそれでも決心して二人でドライブした。足利の西端にある風車は正午頃と4時頃にしばらく観察し、その間の時間を足利の東端にある栗田美術館で過ごした。地元の繊維産業で財をなし国会議員まで勤めた故栗田英男氏が、生涯をかけて収集した伊万里焼と鍋島焼1万点を、3万坪の山に点在する数棟の展示館に収納している世界有数の磁器美術館と知った。大手門を初め歴史的な建物を移築したものも多く、建物は三十数棟に及ぶ。伊万里焼と鍋島焼に絞ってこの規模だからすごい。産地佐賀県ではなく足利市に収集を誇る。美術館は最初1968年に東京都中央区に開館されたが、1975年に現在の地に移った。

 伊万里焼は有田焼と同義だ。佐賀県有田町を中心とする地域の磁器が伊万里港から出荷されたため伊万里焼と呼ばれた。特にオランダ東印度会社が大量注文して作らせ欧州の王侯貴族に販売して巨利を得た磁器はImariと呼ばれた。初期伊万里、古九谷様式、柿右衛門様式、金襴手(きんらんで)様式などに大別される。同じ有田の磁器でも、鍋島藩が藩の窯で制作したものは鍋島焼と呼ばれる。献上用および贈答用の極上品で、ほとんどは断面が逆梯形の中空の分厚い皿に日本風の色絵が描かれている。

 秀吉の朝鮮出兵の際多くの藩が陶工を日本に連れて来たが、鍋島藩も李参平という陶工を連れ帰った。李は1616年に有田に白磁用の陶土を見つけて有田焼を始めたとされているが、歴史学者はそれ以前から有田に磁器はあったとしている。当時世界唯一の白磁の産地は中国の景徳鎮であった。有田でもそれに倣って藍色のコバルト系の絵具で単色の図柄を白磁に描いた。これが初期伊万里である。1640年頃色付が出来るようになったのを古九谷と呼ぶ。但し、現加賀市の旧九谷村で陶土が発見され、加賀藩は有田に技術習得に行かせて九谷で焼いたのが古九谷という説もある。なお九谷焼は、一旦途絶えたのを一世紀後に九谷で復活したものをいう。中国から欧州への磁器輸出が、明から清に変わった混乱で途切れ、オランダ東印度会社は1659年から伊万里焼を大量に買い付け、Imariが欧州で有名になった。独Sachsen王は白磁の国産を命じ、1709年に東独Meissenで欧州最初の白磁が生まれた。先年同地に磁器工場を訪れた私達は、高価に戸惑いながら、白地に赤い薔薇が描かれた小さな水差を記念に購入した。

 17世紀後半の有田で景徳鎮に倣って鮮やかな赤が出せるようになった。日本画の余白と同様、純白の地を広く残して想像を誘い鮮烈な赤をアクセントとする色絵の磁器が盛んとなり、その創始者初代酒井田柿右衛門の名を採って柿右衛門様式と呼ばれた。終戦まで使われた国定国語教科書には、柿右衛門が夕日に輝く柿の赤を見て、何とかこの色を磁器の上に実現したいと試行錯誤の艱難辛苦を経て遂に実現し、柿右衛門と改名したとあった。但しこの話はどうも国威高揚・工夫奨励の創作美談らしい。17世紀末には、金色を加えた絢爛豪華な金襴手様式が生まれた。ところが18世紀半ばになると中国の輸出が回復し、オランダ東印度会社は伊万里焼の買い付けを停止したので、以降有田焼は国内向けに指向する。

 広い構内にある幾つかの展示館で、そういう歴史と作品を体力の限界まで鑑賞した後、Museum Shopに導かれた。作者名のある有田焼が意外に安い。鶏の形をした緑の小さな香炉にしばし見入ったが、近年ご飯の量を減らしたので、小さめの茶碗を二つ購入した。外側が渋い赤で、内側は青い山水の手描き模様だ。一角に第14代酒井田柿右衛門の作品がガラスケースに入っていた。名前で評価する訳ではないが、絵柄に迫力があり周囲を圧して美しい。つい一番安い小皿一揃を衝動買いしてしまった。純白の地に赤青緑で牡丹が手描きされている。後日上記のMeissenの水差を並べてみて驚いた。あたかもセットのように整合して見える。私達が気に入って求めたMeissenの水差も白地に赤青緑で正しく柿右衛門様式だった。 以上