活弁映画を初めて見た。一度も見たことがないことを残念に思って来て、見られる機会をWebで探したりして来たが、やっとその機会に巡り合った。私の小学校は黒白映画時代、中学校で初めてのソ連製「天然色映画」の「シベリア物語」を見てその美しさに感動した世代だ。両親の時代に盛んだった「活弁=活動弁士=活動写真弁士」が活躍する「無声映画」は、残念ながらついぞ見ることが無かった。
無声映画が生まれた欧米では、粗筋解説、重要台詞などを表示するShot=Text Shotと呼ばれる文字画面が時々挿入され、生演奏が加わるだけで上映されたが、日本では活弁という独特の職業が生まれた。輸入映画のShotは日本人には読めないし、昔から錦影絵(スライド投影機)の話者の伝統があったから、洋画は勿論のこと日本語Shotのある邦画にまで活弁が付いた。日本では決して「無声」ではなかった訳だ。moving picture→movie に対してtalking picture→talkie つまり「発声映画」が、フィルムに音声を焼き込む技術で出現したのは、米映画で1927年、邦画では1931年のことだった。以降数年で切り替わった。Wikipediaによれば、声が出たことで、田中絹代は甘い声で評判を上げ、子爵家出身の入江たか子は貴族的な話し方が反発を買い、坂東妻三郎は甲高い声が嫌われたという。ラジオ放送からテレビ放送に代わって見てくれが求められたのと似ている。
私が今回見たのは澤登 翠(さわと みどり)という有名女性活弁だった。画面の雰囲気を盛り上げるピアノ演奏を従えて、彼女は男女の声色を使って台本を読み上げた。恥を曝すが、私の英語能力は日本語の半分だから、Shotの表示時間内には全部読み切れなかったので、活弁は助かる。
今回見た映画は米Paramountの1919年制作"Male and Female"だった。米国の視点で英国の貴族社会を皮肉った90分の作品だった。英国の伯爵家で、女中が執事に、執事が令嬢に密かな想いを寄せるが、令嬢は身分が違うから執事を顎で使っている。令嬢には貴族の男が求婚している。一家が自家用帆船で南に休暇に出た時に難破して、無人島で一家が暮らすようになると、貴族一家は全然生活力が無く、執事が衣食住を解決するので立場が逆転し、遂に執事が一同のKingとして君臨した。令嬢は執事との結婚を望み、原始的な結婚式を挙げている最中に、島を通りかかった船に一同は救出される。英国に帰ると一同元の身分制度に戻り、しかし依然執事への想いを断ち切れない令嬢を貴族と結婚させるために、執事は女中と結婚し米国に渡って牧場を拓き、幸せな新生活を送る、という話だった。
音声表現が無いから微妙な心理描写という訳にはいかない。突飛な筋ながら、単純で判り易い筋と演技でないと観客の理解は得られない。しかしピアノが雰囲気を高め、弁士が熱演してくれるお蔭で、訴求するものがあった。判り易いChaplinのドタバタ喜劇は別として、活弁の無い欧米流の無声映画が如何に味気ないものだったかが想像出来た。
澤登 翠一座の法人Digital Meme(ミーム)からDVDを買った。17-18歳で美人盛りの山田五十鈴が演じる1935年の90分作品「折鶴お千」に、澤登 翠の活弁が付いている。発声映画と無声映画が並立した時代の無声映画だ。日本語のShotもあるが、米無声映画と違って活弁を前提にしているから、細かい心理描写ができる。泉鏡花の小説「売色鴨南蛮」を映画化したものだという。詐欺頭領の情婦で折鶴が好きなお千は、青雲の志を抱いて上京した宗吉を神田明神で自殺から救い、その純情さで人の道に目覚め、詐欺団を警察に訴え、宗吉と2人で暮らす。宗吉を学校に通わせるが生活に困って夜鷹になり客の財布を盗んで連行される。大学病院内科部長に出世した宗吉は、ある夜万世橋駅で脳梅毒で発狂したお千に再会する。
神田と御茶ノ水の間に昔あった万世橋駅から神田明神の森と鳥居が見通せるから面白い。高峰秀子は著書の中で、入江たか子、山田五十鈴、原節子を日本映画史3大美人としているそうだ。山田五十鈴は確かに稀代の美女だ。ただ美人像の変遷も感じ取れた。上記3大美人に連なる現在の美人は鈴木京香だろうが、人気の藤原紀香や小雪とは明らかに違う美女だ。
好奇心から活弁映画を見た。多分二度と見ないだろうが。 以上